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亨徳4(1455)年8月15日、常陸大掾殿妙充、同子息が死去している。(本土寺過去帳)
享徳四乙亥八月(12日) 其外多古嶋城ニテ打死諸人成仏得道 とあり、
千葉介胤宣らとともに打ち死にした様子。
それでは、常陸大掾殿妙充、同子息とはだれであろうか?
妙充 - 子(実名不明)
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1430年1月7日(永享元年12月13日)、鎌倉雪の下にて大掾満幹と慶松が殺される。
応永23年禅秀の乱まで、上杉禅秀の子・教朝が大掾満幹の養子となっていたが、
応永23年(1416年)10月の禅秀の乱において、実父上杉禅秀の敗死により、京都へ逃れ僧籍に入ったといわれる。
これ以後、上杉教朝と大掾氏との養子関係は解消されたらしく、一次資料にも大掾氏の動向が不明瞭になる。
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