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所在:小美玉市川中子字城ノ内
園部川が霞ヶ浦に注ぐ河口の西側微高地に所在し、付近には古墳も有る事から早くから交通拠点とされていた可能性が考えられる。
中世期は玉余(玉里)郷に属し、大枝郷と玉余(玉里)郷との境目に位置した。
永享年間には、川中子の地名を名字とする冨有人が史料に現れていることから、
この冨有人の屋敷(館)跡と推測される。
■航空写真(1947年米軍撮影)
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2015年12月09日
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