|
【11/09/2017更新】
本拠地:常陸国武井郷(茨城県行方市内宿・両宿)
本姓:源姓
応永期、武田信久が行方郡武井郷に入植したとの伝えられている。
武田信久は、甲斐武田氏十二代、武田信春の子とも武田信長の子とも伝わるが、武田氏の諸系図には見当たらない。また、入植伝承の応永年間から滅亡する天正年間までに、150年の間で8世代は多すぎる感もあり、伝承の検討が必要だろう。 【系譜】
武田信久 - 成信 - 信俊 - 昌信 - 信益 - 信親 - 通信 - 信房 2代成信が神明城跡を築城と伝える。 8代通信が木崎城を築城としたと云われる。
天正期、古河公方から行方武田氏宛て書状の宛名書きが「武田七郎五郎殿」であった事から、この武田氏の系統の仮名は「七郎五郎」である可能性が高い。
赤線・・・・・・行方市内宿地区
青線・・・・・・木崎城跡
赤線・・・・・・行方市両宿地区
青線・・・・・・神明城跡 【関連城郭】
木崎城(旧北浦町内宿)
内宿館(旧北浦町内宿字新城)
【支族】
古屋(こじ)山丘陵に武田城を構築。一族か不明。
天正十九年二月九日 ■ 関連情報
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2016年08月11日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]





