常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

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名称: 木部堀ノ内跡
所在: 茨城県東茨城郡茨城町木部小字堀ノ内

大字木部地区の中で、木部西部に位置する。
現在、隣接する飯沼地区に近い木部東部の方が人家や商店が多いが、
木部地区の公民館的センター施設は木部西部に所在する。

赤枠・・・・・小字堀ノ内
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南面西角から見た、木部堀ノ内跡(茨城県東茨城郡茨城町木部小字堀ノ内)
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北面右部から見た木部堀ノ内跡(茨城県東茨城郡茨城町木部小字堀ノ内)
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小字堀ノ内の右側には小川(水路)で区分されている。

北面から見た木部堀ノ内跡(茨城県東茨城郡茨城町木部小字堀ノ内)
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小字堀ノ内の北面堺は、生活道路で区切られている。

西面から見た木部堀ノ内跡(茨城県東茨城郡茨城町木部小字堀ノ内)
イメージ 5
小字堀ノ内の西面は、生活道路で区切らている。


木部堀ノ内跡と木部東部地区、および飯沼地区の位置関係
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木部西部と木部東部の間には湿地帯が入り、早くから区分されていた様子。
木部東部には密蔵院寶積寺があり、
近世期の記録に、「密蔵院古屋敷」との小字の存在が記されていることから、
木部東部にも早くから開発されていたと推測できる。

現在の木部東部地区が大きくなった要因として、
飯沼地区、上飯沼地区の中心地区と近いことからの人・物の移動が容易だったことも考慮できる。

ただし、木部西部と木部東部を比較して、どちらが早くから開発され、どちらが中心的地域であったかを判断するのは早計と判断した。




なお、小字および現地情報は「茨城町史 地誌編」(平成 5 年 3 月、茨城町史編さん委員会)に依った。











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