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「真壁文書」など中近世の古文書類を多数伝えた常陸真壁氏についての情報をまとめた。
➡ 真壁文書
真壁文書を翻刻・写真入りで解説したのが「真壁町史料」である。
現在、真壁文書を勉強する、最も良い資料集。
「真壁町史料」の内容・購入方法は別稿を参考。
南北朝の同時期に、真壁幹重が南朝、真壁高幹が北朝として活動していることが、
真壁文書以外から判明しており、系図にあるような親子関係ではなく、
同族間で主導権が移動したとの論考が主流。
また、真壁政幹のように、美濃国を本拠地とする一派が北朝として活動し、
正幹の孫・広幹の子孫が真壁氏の血流を繋いでいったことから、
ここでも、真壁氏の家督は別流に移動したことが判明している。
永禄年中の幕紋は『割り菱』。家中の白井氏も『割り菱』。
秋田藩士となった子孫は、『橘紋』を使用。
桜川市真壁町古城・山尾に所在。
現在残る真壁城跡は、
真壁氏が出羽国へ去る直前の安土桃山末期の真壁城跡の姿を残す。
史跡公園として整備真っ最中。交通案内はこちら。
➡ 真壁城跡・国指定史跡化記念シンポジウム
H6年10月に真壁城跡が国指定史跡に指定されたことを記念して、
真壁町体育館にて行われた。石井進氏、山田邦明氏、服部氏などが講演。
記念シンポジウムでの講演内容や資料は、真壁氏と真壁城―中世武家の拠点として、
河出書房新社より刊行されている。
➡ 亀熊城
真壁城に移るまでの、真壁氏の本城だった可能性が提唱されている。(桜川市亀熊)
中世期の真壁氏一族の墓石群とされる。
桜川市真壁町山尾525-1 遍照院の境内に所在。
茨城県指定文化財(史跡)
戦国期後半からは、佐竹氏との協力関係を維持し豊臣政権下では佐竹氏配下として生き残る。
出羽移封後、1000石もの高待遇で、江戸期を通じて久保田藩重臣扱い。
この時点で家紋は『橘』に変化。
➡ 常陸真壁氏・秋田藩士真壁氏の子孫
現在は、東京都内に在住。
すでに手元をはなれていた「真壁文書」以外に所蔵した近世期文書や真壁氏関係物は、
真壁町(現・桜川市)へ寄付されている。
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2017年10月05日
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