『宇都宮氏軍旗』が簒奪された戦いにて、笠間氏が宇都宮方で参戦していたと言う伝承は、茨城県には伝わっていないのはなぜか?
10/29まで開催中の栃木県立博物館企画展「中世宇都宮氏」にて展示中の『宇都宮氏軍旗』。
簒奪の経緯よりも、真贋のほうが興味があるのだが、それはさておき。
「宇都宮氏軍旗」が簒奪された経緯
天文18年(1549年)9月17日下野国喜連川五月女坂の戦いでのこと。(Wikipedia調べ)
その戦い、宇都宮尚綱が那須氏方に打たれた際に、「宇都宮氏軍旗」が簒奪された、
喜連川五月女坂の戦いには、宇都宮氏方として、笠間氏の軍勢が参戦していたらしく、
この戦いで奮戦し命を落とした笠間氏の軍勢の内、満川忠親という人物がいたらしい。
江戸時代に書かれた、関八州古戦録に記載あるらしいとのこと。
満川の読み方は”みちかわ”。みつかわでは無いらしい。
栃木の郷土史家がまとめた以下の書籍の中で、満川忠親にもふれているとのこと。
それら伝承は笠間氏の地元笠間市でも伝わっていない
現時点でいうと、常陸国に関する中世期の古文書では満川氏の名は散見しないし、
茨城県内では、笠間氏配下に”満川氏”がいたとの認識、および下野国喜連川五月女坂の戦いに笠間氏が「参戦したとの伝承は地元笠間市でも全く伝わっていない。
栃木県と茨城県、しかも笠間市という地理的に栃木県と隣接する地域で、
このような差が生じている現状を見ると、
栃木県のみで広まった伝承ではないかとの疑問を持った。
一方で、茨城県内では別の「みちかわ氏」の一次史料および伝承が存在するのも事実だ。
続く。
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