常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

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関東地方で「成田」といえば、成田山新勝寺を思い出す人が多いだろう。
中世の常陸国行方郡には、「成田大道」という名称の街道が存在した。

常陸国成田荘とは
「成田大道」の通じる先には、常陸国行方郡にあった荘園「成田荘」があった。
名称の遺称地として、行方市成田として大字を残す。

正中2年3月の最勝光院寺領年貢進済注進状に「常陸国成田荘」と見えるのが所見。
正中3年3月19日に後醍醐天皇が東寺に最勝光院領を寄進するが、これを最後に古文書からは検出されないため、南北朝期には東寺の支配が喪失したものと思われる


常陸国成田荘の比定
「新編常陸国誌」には、
「今行方郡野友・串引・半原・高田ノ諸村,皆成田郷ト称ス,古ノ成田庄タルコト知ルベシ……成田・小貫・次木・穴瀬・金上・帆津倉等ハ武田郷ト称ス,然レドモ地勢ニヨレバコレ皆成田庄ノ内ト見ユ」

とあり、それらを現在の地名に比定した:

江戸時代の村名    現在の大字
行方郡成田村  ➡ 行方市大字成田
行方郡小貫村  ➡ 行方市大字小貫
行方郡次木村  ➡ 行方市大字次木
行方郡両宿村  ➡ 行方市大字両宿
行方郡内宿村  ➡ 行方市大字内宿
行方郡長野江村  ➡ 行方市大字長野江
行方郡穴瀬・金上・帆津倉 ➡ 行方市大字三和

行方郡高田村  ➡ 鉾田市大字高田
行方郡串挽村  ➡ 鉾田市大字串挽
行方郡野友村  ➡ 鉾田市大字野友
行方郡半原村  ➡ 鉾田市大字半原
行方郡借宿村  ➡ 鉾田市大字借宿
行方郡青柳村  ➡ 鉾田市大字青柳



烟田文書の中の「成田大道」
「成田大道」に関する記述は、これら文書に限られる。

烟田文書 建武3年(1336年)6月20日付け信崇譲状写:
烟田文書 延元元年(1337年)6月20日付け沙弥信崇譲状:

「一、常陸国行方郡小幡郷大和田村
限東高岡郷堺
限南大河
限西自薄町、堤橋本、北江成田大道江直仁切付
限北武井郷堺

一、同郡小幡村
限東舟子郷堺
限南入海
限西井上郷境
限北下大道

行方郡小幡郷(現・行方市小幡)内の大和田村の西限沿いに、成田大道が通過していた事が分かる。














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