常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

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 真壁城跡発掘調査現地説明会開催

本年度は、北池の範囲の特定や、庭園西側に築かれた茶室などに通じる園路の解明を中心に行われた。


? 真壁城跡へ行こう!(TXまたはJR水戸線経由)桜川市・つくば市間広域連携バス

 北池から北西に延びて確認されていた溝跡は、庭園内を行き来する道路を迂回(うかい)するように、三の丸の堀に流れていたことが確認された。


? 続きは本編ブログで。



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12月2日(土曜日)に開催される現地説明会では,今年度の発掘調査により得られた成果の解説や平成28年度に開園した小田城跡歴史ひろばの案内を行います。

道案内
? 【ICからの道順】小田城跡歴史ひろば・案内所へのアクセス(常磐道土浦北IC〜車で)
? 【バス】小田城跡歴史ひろば案内所ヘのバス案内(元常陸小田駅跡へ行く方法
? 【周辺地図】 小田城跡歴史ひろば・案内所(旧筑波鉄道常陸小田駅跡)

 新たに本丸外の西側に土塁跡を見つけたと発表した。16世紀後半ごろに改修工事を行った痕跡で、城の外郭を約10メートル拡張し、防御施設の土塁を築いていた。 

? 本編ブログはこちら




小田城跡



真壁城跡発掘調査現地説明会開催

本年度は、北池の範囲の特定や、庭園西側に築かれた茶室などに通じる園路の解明を中心に行われた。


 北池から北西に延びて確認されていた溝跡は、庭園内を行き来する道路を迂回(うかい)するように、三の丸の堀に流れていたことが確認された。

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開催日時:平成29年12月2日(土) (1)10:30〜 (2)13:30〜
       ※小雨決行、(1)(2)とも同内容

開催場所:桜川市真壁町古城(桜川市真壁第一体育館東側)
              ※自家用車でお越しの際は、真壁第一体育館の駐車場をご利用ください。
※参加料無料。
※事前申し込みは不要。
※直接現地へお越しください。

享徳の乱 中世東国の「三十年戦争」 (講談社選書メチエ)2017/10/11 峰岸 純夫 : 「関東の大乱」というのは享徳3年(1454)12月、鎌倉(古河)公方の足利成氏が補佐役である関東管領の上杉憲忠を自邸に招いて誅殺した事件を発端として内乱が発生し、以後30年近くにわたって東国が混乱をきわめた事態を指す。 この内乱は、単に関東における古河公方と上杉方の対立ではなく、その本質は上杉氏を支える京の幕府=足利義政政権が古河公方打倒に乗り出した「東西戦争」である。しかし、これほどの大乱なのに1960年代初頭までまともな名称が与えられておらず、「15世紀後半の関東の内乱」などと呼ばれていた。






12月2日(土曜日)に開催される現地説明会では,今年度の発掘調査により得られた成果の解説や平成28年度に開園した小田城跡歴史ひろばの案内を行います。


今年度は,お城の中心である本丸跡の西側に位置する曲輪(堀や土塁で囲まれた建物や広場のある区画)を調査しています

新たに本丸外の西側に土塁跡を見つけたと発表した。16世紀後半ごろに改修工事を行った痕跡で、城の外郭を約10メートル拡張し、防御施設の土塁を築いていた。




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日時:平成29年12月2日(土曜日) 10時30分〜,13時30分〜 (同内容)
    ※小雨決行,雨天時は12月9日(土曜日)に順延します。
 
場所:国史跡小田城跡(つくば市小田2377番付近)
    ※駐車場は本丸跡付近になります。スペースに限りがございますので,
     可能な限り公共交通機関等を御利用ください。
 
交通:当日は小田城跡周辺に案内板がございます。
    ※当日は小田城跡歴史ひろば案内所(029-867-4070)
     までお問合せください。













関東地方で「成田」といえば、成田山新勝寺を思い出す人が多いだろう。
中世の常陸国行方郡には、「成田大道」という名称の街道が存在した。

常陸国成田荘とは
「成田大道」の通じる先には、常陸国行方郡にあった荘園「成田荘」があった。
名称の遺称地として、行方市成田として大字を残す。

正中2年3月の最勝光院寺領年貢進済注進状に「常陸国成田荘」と見えるのが所見。
正中3年3月19日に後醍醐天皇が東寺に最勝光院領を寄進するが、これを最後に古文書からは検出されないため、南北朝期には東寺の支配が喪失したものと思われる


常陸国成田荘の比定
「新編常陸国誌」には、
「今行方郡野友・串引・半原・高田ノ諸村,皆成田郷ト称ス,古ノ成田庄タルコト知ルベシ……成田・小貫・次木・穴瀬・金上・帆津倉等ハ武田郷ト称ス,然レドモ地勢ニヨレバコレ皆成田庄ノ内ト見ユ」

とあり、それらを現在の地名に比定した:

江戸時代の村名    現在の大字
行方郡成田村  ➡ 行方市大字成田
行方郡小貫村  ➡ 行方市大字小貫
行方郡次木村  ➡ 行方市大字次木
行方郡両宿村  ➡ 行方市大字両宿
行方郡内宿村  ➡ 行方市大字内宿
行方郡長野江村  ➡ 行方市大字長野江
行方郡穴瀬・金上・帆津倉 ➡ 行方市大字三和

行方郡高田村  ➡ 鉾田市大字高田
行方郡串挽村  ➡ 鉾田市大字串挽
行方郡野友村  ➡ 鉾田市大字野友
行方郡半原村  ➡ 鉾田市大字半原
行方郡借宿村  ➡ 鉾田市大字借宿
行方郡青柳村  ➡ 鉾田市大字青柳



烟田文書の中の「成田大道」
「成田大道」に関する記述は、これら文書に限られる。

烟田文書 建武3年(1336年)6月20日付け信崇譲状写:
烟田文書 延元元年(1337年)6月20日付け沙弥信崇譲状:

「一、常陸国行方郡小幡郷大和田村
限東高岡郷堺
限南大河
限西自薄町、堤橋本、北江成田大道江直仁切付
限北武井郷堺

一、同郡小幡村
限東舟子郷堺
限南入海
限西井上郷境
限北下大道

行方郡小幡郷(現・行方市小幡)内の大和田村の西限沿いに、成田大道が通過していた事が分かる。














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