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小田原北条氏と唐人町と常陸大掾慶幹に関係する情報をまとめました。
以下3点は、便宜上『結城市史第一巻 古代中世資料編』で再確認した。
1. (弘治二年)3月20日付け 白河(晴綱)殿宛て 北条左衛門大夫綱成書状(遠藤白川文書)
『(略)乃去年唐人以罷上候便(略)』
2. (弘治二年)7月22日付け 白河(晴綱)殿宛て 北条左衛門大夫綱成書状(遠藤白川文書)
『(略)兼又彼唐人十一官拙者モ存知之者ニ候、(略)』
3. (弘治二年)初秋廿五日付け 白河(晴綱)殿宛て大掾慶幹書状(遠藤白川文書)
所収:古河市史資料中世編0945
『(略)兼又先度唐人穆橋馬之事申届候キ、(略)』
小田原・唐人町(とうじんちょう)の現在地:
使者として「唐人」登用に触れた書籍
唐人町と三崎湊について論文収録
関連論文
●黒田基樹氏による、小田原・唐人町に関する小論 日本歴史・掲載号不明
●後北条氏の外交と小田原唐人町 柴辻 俊六 日本歴史 (749), 2010-10
●第1次朝鮮通信使・副使 慶七松 著 『海嵯録』 若松實訳 (1997): 日朝協会愛知県連合会, 21-37 ⇒ 中国船が遭難、小田原に漂着し、帰国しなかった十余人とともに小田原で生活していた葉七官の記載あり 未確認情報
北条氏政書状に、中国船とみられる船が着岸したことが記した書状があるようだ。
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2018年01月16日
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陸奥国での、平資幹および常陸平氏への活動については、 糸賀 茂男氏の関連論文( 常陸中世武士団の史的考察 (中世史研究叢書)所収)によるところが多い。実際調べると、糸賀氏の指摘の他にも多くの遺証が見受けられた。 銅造十一面観音像懸仏(宮城県指定有形文化財) |
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