常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

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 「鎌倉街道中道・下道」・「佐竹一族の中世」を監修・出版した、茨城大学人文学部教授 高橋修氏が中心となって開催する、第13回茨城大学地域史シンポジウムは、 2017年1月28日(日) に行われる。

シンポジウム会場が、一般教室から同じ水戸キャンパス内の【講堂】に変更になりました。(1/25確認)

当日は、茨城大学水戸キャンパス内での指示に従ってご入場ください。

⇒ 詳しくは本編ブログにて。


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茨城大学


陸奥大掾氏の残滓:

名称:  宮沢城跡
所在地: 大崎市古川宮沢字舘ノ内


室町時代、大崎氏の支城として史料に登場し、
1590年、葛西・大崎一揆の際には、大崎氏の旧臣:岩崎讃岐義久が宮沢城に籠り、伊達氏に反抗した事が有名のようだ。
江戸時代は、仙台藩二十一要害の一つ:宮沢要害として、有力家臣らが割り当てられ、領地を管理していた。

地元の伝承では、藤原秀郷による築城伝承のほかに、地頭平資幹の居城伝承が残る。

陸奥国宮沢城跡(大崎市古川宮沢字舘ノ内)
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葛西・大崎一揆での破却、近世城下町としての整備により、

中世期の宮沢城の姿は不明瞭であるようだ。

宮沢城跡と平資幹ないし陸奥大掾氏との関係は確固とした史料がある訳では無いが、

傍証として:

1. 宮沢城跡の、平資幹による在城伝承
2. 宮沢要害城主長沼氏が鹿島神社に奉納した、
3. 宮沢城跡城下の熊野神社が、吾妻鑑に記される、『地頭平資幹』と争った『新熊野神社』である可能性。
4. 大字「宮沢」の隣接地・大字「沢田」は『大掾沢田平次』の名字地の可能性。

以下は、平資幹ないし陸奥大掾氏に関係すると思われる傍証および史料の点在地図である。

大崎市古川宮沢・古川小野羽黒・古川小林・古川沢田との位置関係
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大崎市古川宮沢(宮沢城跡、掛仏)
大崎市古川小野羽黒(板碑)
大崎市古川小林(吾妻鑑)
大崎市古川沢田(大掾沢田平次跡)






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