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小美玉市中台地区に所在。
●建立者
栗原掃部衛門の父母供養の為建立されたといわれているが、
建立者は栗原掃部衛門を含む3名の法名も記載されている。
●建立場所 現在地: 小美玉市希望ヶ丘公園
二度移転したため、石碑自体が破損し修正がされている。
松林山称明院長福寺(廃寺・大字中台1,852番地)跡に所在。
二度移転したため、石碑自体が破損し修正がされている。
●銘文について
この三尊像の両側には銘文が刻まれている。右側には5行みられ
「
奉読誦法花妙典□□部供養之所
現世安穏後生善処為七世父母也
栗原掃部衛門西阿弥陀仏
妙意禅定尼
妙心禅定尼
」
と刻まれる。
左側には1行みられ
「永禄四年辛酉卯月廿九日敬白」
と記されている。
竹原城を守る竹原四郎義国の配下に竹原四天王と呼ばれる武将がおり、
その一人が栗原掃部衛門との伝承があるが、それ以外の史料・伝承は伝えられていない。
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石造物銘文
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かすみがうら市上佐谷の個人墓地内に所在。(地蔵菩薩の石造物の造立場所より北西約500mのところにある。)
中央に十一面観音菩薩坐像、その下及び左右に銘文が刻まれている。
銘文は向かって 右
「為 田 上 □ □ □・・・・・・婦 □□・・・」、
像下に
「永代観音□□ □□真中□□ 弥三郎」、
左に
「明應五年丙辰二月吉日 本願弥八」
と刻まれている。
参照:千葉 隆司「石に描かれたみほとけ― 線刻表現の石仏の分析 ―」
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表面には、上部に
「大日如来、図像(胎蔵界大日如来坐像・蓮台・台座)、元弘二二 二十八」、
元弘年銘の右側に
「慶安二年巳丑」、
左側に
「九月十五日」、
その下に
「敬白」
と記される。
元弘4年=1334年
慶安2年=1649年
参照:千葉 隆司「石に描かれたみほとけ― 線刻表現の石仏の分析 ―」
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この地蔵像の下部には三行にわたり、左から
「右二此院内」
「末代七百」
「文賣寄進」
と記される。
さらにこの中央部分の左右に2行ごとの銘文が刻まれる。
右側銘文
「梵字(ア) 妙海禅尼□位 妙林 □法皈元法秀禅尼 霊」、
左側銘文
「延徳貳稔三月三日 真□法禅門 梵字(ア)性□禅門□位 性金」
(延徳2年=西暦1490年)
なお、この石造物が立てられている所は、かすみがうら市上佐谷地区の真言宗 医王山瓦場寺円明院の東側約200mに位置する。
参照:千葉 隆司「石に描かれたみほとけ― 線刻表現の石仏の分析 ―」
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所在地:かすみがうら市中志筑 規模 総高:209センチメートル 最大幅:(火輪幅)78センチメートル 年紀:天文十五年(1546) かすみがうら市指定文化財
五輪塔は、仏教思想に基づき宇宙の生成要素とされる「空・風・火・水・地」の五輪で構成されるもので、 かすみがうら市周辺では、 筑波山系の山並みから産出される花崗岩で鎌倉時代以降盛んに造立されました。 この五輪塔の地輪には「松延」や「天文十五年」などの文字が刻まれており、 戦国時代に制作された様子がわかります。 「松延」の文字は地名あるいは人名と考えられます。 |





