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翻刻本の一般販売はすでに終了している『国典類抄』翻刻本について、
秋田県立文書館がデータでの無料公開を行っている。
佐竹家及び秋田藩8代藩主義敦までを記した日記等の史料の部類記と言うことで、
常陸国の中世史を学ぶ上で、
出羽移封までの佐竹氏および配下層の動向に関して参考にできる二次史料として価値が高い。
また、常陸国中世史上一次史料が残存していない事柄についても、掲載事項を基に関連する史料への推考を進めることができる情報を提供してくれる情報および伝記を見ることができる。
電子データは、djvuファイルで提供 別途プラグインが必要。
➡ djvuプラグイン・ビューアのダウンロードはこちら
『国典類抄』人名・地名・役職 索引
人名・地名・役職 索引データは、(excel)ファイルで提供
➡ excelがインストールされていないなら、
excelビューワーが別途必要。ダウンロードはこちら
秋田県立文書館HP: 『国典類抄』翻刻本データ・索引
『国典類抄』翻刻本データ・索引内の各リンクから閲覧データを見ることができます。
秋田県立図書館が翻刻した全19巻の刊行本の一般販売はすでに終了
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覚書
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羽後真壁館
中世、横手城を本拠地とした小野寺氏の配下に真壁氏がいた。
(以下、羽後真壁氏とする。)
『奥羽永慶軍記』 天正14(1586)年「有屋峠の戦」にて真壁対馬守が討死したと記されている。
『仙北上浦郡指出目録』
天正18(1590)年10月の太閤検地の際、小野寺遠江守(義道)領分として
「さかい 真壁内膳分」と記載がある。
羽後真壁氏の本拠地とされるのが、真壁館(横手市上境字館)
羽後真壁氏の出身について地元横手市でも詳しいことはわかっていないとのこと。
また、横手市には、真壁氏の子孫を称する方もいるようだ。
秋田眞壁屋(株式会社眞壁屋)
稲庭うどんの自家製造および飲食店舗:秋田眞壁屋を経営する株式会社眞壁屋さん。
HPページでは、羽後真壁氏ではなく、秋田藩士真壁氏(常陸真壁氏)の子孫を自称されていると伺わせるが、
秋田藩士真壁氏(常陸真壁氏)と家紋が違うこと、
また、真壁姓でなく『眞壁』姓であることが、特徴だ。
秋田藩士真壁氏(常陸真壁氏)は久保田城下(現・秋田市)住まいであり、
本家の子孫は現在東京都在住とのことなので、実際の関係は不明である。
横手市に従来から在住していたことをうかがえる。
これは私の推測でしかないが、
この真壁氏がいわゆる羽後真壁氏に何か関係があるのも知れない。
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横手市羽黒町武家屋敷通りについて、個人的な私見をまとめた。
横手市は横手城跡にある
、
きっかけは、ある人の観光ブログにて、
武家屋敷がよく残っており、広大なお屋敷は重臣クラスのお屋敷なのでないか
の旨紹介の記事を目にしたことだ。。
結論から言うと、
1. 武家屋敷通りとしての雰囲気は保存活動のおかげで守られている。
2. 建物や築地塀などは、戊辰戦争時に焼き討ちされたことから、古くても昭和初期以降のようだ。
3. 広大なお屋敷は、昭和期の子孫の方が事業で資産を成した成果であって、元からのものではない。
ということだ。
横手絵図(享保13年作成横手所預戸村氏提出)【秋田県県指定文化財】
片野彦左衛門宅と片野甚兵衛宅が見える。
横手市羽黒町2018
片野甚兵衛宅は、現在の片野家住宅に含まれている。
片野彦左衛門宅は、寺院敷地となっている。
一つの屋敷地のみがとびぬけて広大な敷地であるのは、
子孫である片野氏が羽後交通など昭和期に事業に成功した結果、屋敷地を広げることができた、
と理解したほうが適切である。
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『観応元年八月廿日付 藤原秀親譲状 (小山文書)』
譲与所領等事
一所 下野国阿曽郡内阿曽沼郷地頭職事
一所 同国佐野庄内上大賀・下大賀・富地・韮河等地頭職事
一所 武蔵国石岡郷幷吉沢地頭職事 一所 同国足立郡内上根村半分事
一所 相模国田原村地頭職事
一所 信乃国飯田郷地頭職事
一所 陸奥国遠野保地頭職事
一所 同国江刺郡内角懸郷半分地頭職事
一所 常陸国稲吉郷地頭職事
一所 同国磯部村参分一地頭職事
一所 備中国砦部郷地頭職事
一所 鎌倉屋地二所事
右、所領注文件レ如、
観応元年八月廿日
藤原秀親(花押) 阿曽沼
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小川台合戦・沼尻合戦の関連書籍・論文の一覧
小川台合戦:
天正六年(1578)5月〜6月 、北進してくる後北条氏に対し、上杉謙信の死後初めて、佐竹、結城、宇都宮、那須、大掾氏などの『東方之衆』が大同し対陣した合戦。茨城県筑西市小川付近。
沼尻合戦:
1584年(天正12年)の5月から8月にかけて、後北条氏陣営と佐竹氏・宇都宮氏を中心とした北関東領主連合陣営の間で行われた合戦。栃木県佐野市藤岡甲付近に、陣地と合戦場。
小川台合戦
小川台合戦場(筑西市小川周辺) ・「小川岱状」(続群書類従)
・「小川岱状」 : 関城町史 史料編 3 (中世関係史料)収録
「合戦」か?「対陣」か?−「小河台合戦」の呼称について−(千葉篤志)
古文書で見る常陸小河合戦……………………荒川善夫(栃木県立宇都宮高校教頭)
沼尻合戦
沼尻合戦場(佐野市藤岡町) ・国典類抄
沼尻合戦 ― 戦国末期における北関東の政治秩序 ―
…………………………………………戸谷穂高(東京大学大学院博士課程満期退学) ◆関連情報
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