常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

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路川氏=道川氏=満川氏?(その2)

栃木県内に伝わる笠間氏配下の満川氏の伝承は、茨城県内では全く伝わっていない。
では、「みちかわ氏」は伝承の存在なのか?


茨城県内に伝わる「みちかわ氏」
こちらは『路川』で読みは「みちかわ」。

■笠間氏関連の一次史料に登場する「みちかわ氏」
現存する笠間氏関連の一次史料には、天正期ごろ「路川」ないし「路川大和」と散見している。
この「路川」氏の子孫との伝承を持つ方は笠間市内に在住している。

■宍戸氏関連の一次史料に登場する「みちかわ氏」
常陸国北郡宇治江(宇治会)が「路川助三郎」が、天正11年に現れてくる。

■小田氏関連の一次史料に登場する「みちかわ氏」
「宇治会館 道川摂津守」など、
近世の書誌「小田家風記」などの類似本に見えてくる。
伝承内容は、宍戸氏配下の路川氏と同様。


「路川」・「道川」以外の「みちかわ氏」

”天正十一年九月、笠間の代官として羽黒に駐していた満川勘左衛門は、富谷城主加藤大隈と争乱に及んだとき、同じく笠間方の与力で田野城主羽石内蔵助か、この争乱の時を逃がさじと南の金敷城を攻めた。”

これも、「関八州古戦録」が元ネタか。

同様の内容が「水谷蟠龍記」や「常陽四戦記」でも語られているようだが、
残念ながら、近世期の戦記物類の特徴として、「同類の事柄」を「異なる時間、異なる場所、異なる人物」で語られるため、複数の類似の物語が存在する。

どれが史実に近いのかは不明だが、岩瀬地方の伝承に、笠間氏配下の満川氏の伝承があるのが現状。

また、電話帳で調べると、茨城県西〜栃木県にかけて、少ないながら満川姓の方が在住するのも事実。


路川氏=道川氏=満川氏 の可能性
満川氏自身、または満川氏に関する宇都宮氏や笠間氏の発給文書があるのであれば、
何らかの判断もつくのだが。

笠間氏の本拠地である笠間市でそのような伝承が伝わっていない以上、
満川忠親の戦死譚は、単なる地域伝承ないし後世の戦記物語でしかないだろうか。

満川氏も比較検討した


笠間氏配下として語られる、「路川氏」と「「満川氏」。
この天文期の「満川氏」は、天正期の路川氏へ繋がる系統を指すのではないか?との推測も成り立つが、
あくまで推測である。













中世宇都宮氏の世界: 下野・豊前・伊予の時空を翔る 単行本 – 2013/11/7 市村 高男 (著) : 宇都宮氏は、平安末期より下野一宮二荒山神社の管理・運営権を把握し、発展していった。そして、豊前へ移動した同族、伊予に分立した一族などの活躍で戦国期にも関東・四国・九州の歴史に多くの事績を刻み込んだ。鎌倉前期、宇都宮信房が豊前に移住すると、その子孫は九州各地に根を下ろし大きな足跡を残した。しかし、宇都宮一族本流の城井鎮房らは豊臣秀吉によって近世大名への途を否定され、黒田考高(官兵衛)と激戦の末滅び去った。本書は、関東の有力武士として四〇〇年余の歴史を展開した宇都宮氏を政治動向や社会経済活動に加えて、日光山縁起や主要な城郭跡、寺社、石造物、仏像などから詳細にたどる。
















『宇都宮氏軍旗』が簒奪された戦いにて、笠間氏が宇都宮方で参戦していたと言う伝承は、茨城県には伝わっていないのはなぜか?

10/29まで開催中の栃木県立博物館企画展「中世宇都宮氏」にて展示中の『宇都宮氏軍旗』。
簒奪の経緯よりも、真贋のほうが興味があるのだが、それはさておき。

「宇都宮氏軍旗」が簒奪された経緯

天文18年(1549年)9月17日下野国喜連川五月女坂の戦いでのこと。(Wikipedia調べ)
その戦い、宇都宮尚綱が那須氏方に打たれた際に、「宇都宮氏軍旗」が簒奪された、

喜連川五月女坂の戦いには、宇都宮氏方として、笠間氏の軍勢が参戦していたらしく、
この戦いで奮戦し命を落とした笠間氏の軍勢の内、満川忠親という人物がいたらしい。

江戸時代に書かれた、関八州古戦録に記載あるらしいとのこと。

満川の読み方は”みちかわ”。みつかわでは無いらしい。



それら伝承は笠間氏の地元笠間市でも伝わっていない
現時点でいうと、常陸国に関する中世期の古文書では満川氏の名は散見しないし、
茨城県内では、笠間氏配下に”満川氏”がいたとの認識、および下野国喜連川五月女坂の戦いに笠間氏が「参戦したとの伝承は地元笠間市でも全く伝わっていない。

栃木県と茨城県、しかも笠間市という地理的に栃木県と隣接する地域で、
このような差が生じている現状を見ると、
栃木県のみで広まった伝承ではないかとの疑問を持った。

一方で、茨城県内では別の「みちかわ氏」の一次史料および伝承が存在するのも事実だ。
続く。













中世宇都宮氏の世界: 下野・豊前・伊予の時空を翔る 単行本 – 2013/11/7 市村 高男 (著) : 宇都宮氏は、平安末期より下野一宮二荒山神社の管理・運営権を把握し、発展していった。そして、豊前へ移動した同族、伊予に分立した一族などの活躍で戦国期にも関東・四国・九州の歴史に多くの事績を刻み込んだ。鎌倉前期、宇都宮信房が豊前に移住すると、その子孫は九州各地に根を下ろし大きな足跡を残した。しかし、宇都宮一族本流の城井鎮房らは豊臣秀吉によって近世大名への途を否定され、黒田考高(官兵衛)と激戦の末滅び去った。本書は、関東の有力武士として四〇〇年余の歴史を展開した宇都宮氏を政治動向や社会経済活動に加えて、日光山縁起や主要な城郭跡、寺社、石造物、仏像などから詳細にたどる。















近世大名へ移り変わることができなかった、下野宇都宮氏。
その子孫のいくつかのその後を追った。



出羽国久保田藩士 宇都宮氏(下野宇都宮宗安系統)
宇都宮広綱 - 結城朝勝=宇都宮光綱 ➡ 詳細は戦国大名宇都宮氏の子孫たち
                         (秋田藩士・水戸藩士・福井藩士、伊予宇都宮氏その後)
                  - 宇都宮国綱 

宇都宮恵斎宗安は、下野宇都宮広綱の次子として誕生。
結城晴朝の養子となり、 結城七郎朝勝を名乗り、次期結城氏当主となるはずだった。
しかし、結城晴朝が豊臣秀吉の養子になっていた秀康(徳川家康の次男)を受け入れ、豊臣政権下での活路を見出そうとしたため、朝勝は結城家に居場所がなくなった。
朝勝は宇都宮恵斎宗安と名を変え、兄である宇都宮国綱の下、大名家宇都宮氏の自立に向けて行動する。
が、慶長2年の宇都宮氏改易により、兄である宇都宮国綱と袂を分かち、大名家宇都宮氏の復活を画策するも、
文禄の役以後は佐竹氏に従う。佐竹氏の出羽移封に随行し、その家系は秋田藩家老職として家名を伝えた。




常陸国水戸藩士 宇都宮氏(宇都宮国綱系統)
宇都宮広綱 - 宇都宮国綱 - 宇都宮義綱  ➡ 詳細は戦国大名宇都宮氏の子孫たち
                         (秋田藩士・水戸藩士・福井藩士、伊予宇都宮氏その後)

嫡子である宇都宮国綱は、豊臣政権下では大名復帰が叶わず、徳川治世下でも仕官せずに、大名復帰を願っていたらしい。水戸徳川家に仕官したのは、寛永年間、子の義綱の代。
初期の水戸徳川家では近世大名化できなかった武士の子孫を雇用することが多く、芳賀氏や益子氏なども家臣・郷士として組み込んだ。

隆綱は室に徳川頼房の十二女を迎えるなど厚遇され、家老職(1,000石)として、宇都宮氏の血脈を繋ぐこととなる。

城井宇都宮氏(豊前宇都宮氏):
城井氏最後の当主・城井朝房の系統:宇都宮信隆が元禄年間に福井藩に取り立てられた。
姓名は城井ではなく、宇都宮姓での士官となる。

宇都宮朝末 - 春房 - 信隆  ➡ 詳細は戦国大名宇都宮氏の子孫たち
                        (秋田藩士・水戸藩士・福井藩士、伊予宇都宮氏その後)

伊予宇都宮氏:
一般的に、大洲城を本拠地とした伊予宇都宮氏として有名であるが、
実際には、伊予国西部の広範囲に宇都宮氏一族が分立し、それぞれが伊予宇都宮氏のみならず、西園寺氏や河野氏、長宗我部氏の動向に右往左往していた。



下総宇都宮氏以外:
豊前宇都宮氏、筑後宇都宮氏、伊予宇都宮氏などの詳細は、







    
編集:荒川 善夫、新井 敦史                             下野新聞社編集局 (編集) 

    
 則松 弘明 (著)                百冨 宅史 (著)             - 松山 譲 (著)




栃木県立博物館 企画展 中世宇都宮氏 で
展示中の『宇都宮氏軍旗』(高津古文化会館所蔵)と『集古十種』所収模写像と同一か、
この目でしかと確認したい。


両者とも、巴紋であるが、

『集古十種』所収模写の『宇都宮氏軍旗』では、

左巴の上に、一文字を伴い、一つの家紋を構成しているのが特徴。


高津古文化会館所蔵の『宇都宮氏軍旗』では、左巴以外ははっきり確認できない。。
画像が小さく不鮮明ということもあるので、
この目でしかと確認したい。

また、この点をどのように解説していうかも気になる。



『宇都宮氏軍旗』(高津古文化会館所蔵)と『集古十種』所収模写像
イメージ 1




軍旗 にまつわる謂れがドラマチックでいかにも○○○○○○という印象を吹き飛ばしてもらいたい気分。





    
編集:荒川 善夫、新井 敦史                             下野新聞社編集局 (編集) 


中世宇都宮氏展




栃木県立博物館の50種年記念企画展「中世宇都宮氏」において、
宇都宮氏一族関連として、笠間氏(特に笠間時朝)が関係したとされる
以下の2点の茨城県内所在の仏像が展示されている。




1. 茨城県笠間市・岩谷寺薬師如来像 国指定文化財
  胎内刻印あり


2. 茨城県阿見町・蔵福寺阿弥陀三尊像(木造阿弥陀如来立像1躯附両脇侍立像2躯)
  茨城県指定文化財。

本尊のみ鎌倉期制作。※茨城県教育委員会HPより

阿見町・蔵福寺の伝承では、当時の常陸国守護・小田知重の弔いのため、
   藤原時朝が寄進したとある。

   単純に考えて、何のゆかりのない地域にある寺に、笠間の藤原時朝が小田ではなく、乙原の寺に寄進すること自体が、不自然。

金沢文庫の企画展で示されてたように、慶派による作成とされるが、
当時の信太郡はすでに北条氏治下になっていることを考慮すると、
    忍性による、常陸三村寺(宝筐山)、宍塚般若寺などにみられる、鎌倉・真言律宗系の教団活動の結果と考えるのが妥当ではないか。


   


茨城県笠間市・蔵福寺阿弥陀三尊像(木造阿弥陀如来立像1躯附両脇侍立像2躯)と
茨城県笠間市・岩谷寺薬師如来像が展示されている。






    
編集:荒川 善夫、新井 敦史                             下野新聞社編集局 (編集) 



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