常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

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常磐道石岡小美玉スマートICと茨城空港を結ぶ道路計画にて、
茨城空港直結道路ルートが常陸弓削砦跡(推定)の外堀にかかる形で、2017/3/1現在絶賛開発中です。

⇒ 常陸弓削砦跡(仮称)(小美玉市竹原字弓削)

六号国道線と茨城空港直結道路ルート(赤線)が交わる箇所が、
常陸弓削砦の外堀跡に該当する。

常磐道石岡小美玉スマートICと茨城空港を結ぶ道路計画(竹原周辺拡大).JPG
イメージ 2



















常磐道石岡小美玉スマートICと茨城空港を結ぶ道路計画概要図.JPG
イメージ 1




常磐道の石岡小美玉スマートICと茨城空港を結ぶ道路整備事業
https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/mitodo/kukou/documents/1611takehara.pdf






■関連情報
⇒ 常陸弓削砦跡(仮称)(小美玉市竹原字弓削)


  





日枝神社流鏑馬祭りは、
弓上手の武者による山猿退治とそれによる救済伝承が下地となり、行われている。

その下地には、東城人物ないし対象が実際にいたことを窺わせることから、
いくつかの中世文書を用いて考察したい。


土浦市発行の調査報告書にあるように、神事の内容と各役の役割は時代とともに変化しているが、
基本は弓上手の武者による山猿退治とそれによる救済伝承:

山猿が大暴れ

村人が従羅天に相談

従羅天が将監に山猿退治を依頼

山猿にヒトツモノを御供

将監が弓矢で山猿を退治

めでたしめでたし

主な登場人物とその役割:
従羅天: 小神野氏が代々担う。
将監:   市川氏が代々担う。
ヒトツモノ:人身御供の稚児(旧山の荘村の7地区から選ばれる。) 


ここで、取り上げるのは、『将監』役の市川氏(市川将監)である。

小神野氏: 甲山城城主といわれる当地の名家。
        近世地誌「小田家風記」など、小田氏とのつながりを意識してきた。
        中世の古文書の写しを所有する。       

市川氏:   現在、かすみがうら市高倉住。
        近世期、既に同所に在住していたことから、
        江戸期以降、高倉将監などと名称が混同するようになる。
        弓の名手とされた。

『従羅天』役の小神野氏

『従羅天』役の小神野氏は、大猿退治を「将監」に依頼する、いわば脇役である。
つまり、『従羅天』役の小神野氏は、本筋にはなくてもよい要素であることから、
弓の名手による大猿退治譚に後で付加されたことを窺わせる。

小神野氏は地元旧村地域では主導的役割を果たす旧家であるため、
その地元の祭礼において、「大猿退治を依頼する、地元の名家」として、補完的な立場で登場する事が必要であったのだろう。


『将監』役の市川氏(市川将監)

一方、『将監』役の市川氏(市川将監)は、「弓の名手」である『将監』について、
伝承民話では、市川将監は沢辺将監または高倉将監と言い表しているバージョンがある。
          特に民話では「沢辺住の沢辺将監」または「沢辺住の市川将監」として登場する。

沢辺将監・・・・日枝神社のある小野・東城寺・沢辺入会地に近い、旧沢辺村(土浦市沢辺)に
         居住していたとの伝承に基づく。
高倉将監・・・・近世期、市川氏が居住した高倉村(かすみがうら市高倉)から来た将監との意。
市川将監・・・・市川市の苗字に基づく。

明治以降の地誌などには、「高倉将監」の名称が使われだし、その呼び名は混同しているのが現状である。

旧沢辺村に在住した土豪であれば、単に「沢辺氏」出身とも考えられるが、
以下の二つの理由で否定できる。

1. 常陸日月牌過去帳に、慶長期「常陸小田村 沢辺○○守」の逆修供養がされており、
   沢辺氏は戦国後期には「小田村」在住であった可能性がある。

2. 『古文書雑集』には、高倉村市川氏所蔵文書があり、
  その中に、山の庄(沢辺村を含む)の所領をあてがわれた内容がある。

では、市川という苗字はどこをさすのであろうか。
かすみがうら市市川が本拠地の武士といわれる。











【目録】宍戸文書(茨城県史料中世編 III 所収)



1. (康正2年)4月9日付 小田出羽太郎宛足利成氏感状写
2. (年未詳)6月24日付 小田湊太郎宛足利成氏軍勢催促状写
3. (年未詳)2月12日付 宍戸中務大輔宛足利義氏官途状
4. (年未詳)4月17日付 宍戸中務大輔宛芳春院周興書状
5. (年未詳)7月18日付 宍戸中務大輔宛足利義氏書状
6. (年月日未詳)   ししと中務大輔宛芳春院書状(前欠)
7. (年月日未詳)   しし戸四郎宛芳春院書状
8. 文禄4年7月16日付 宍戸四郎宛佐竹義宜知行状(冊子)


宍戸氏略系図


                 (江戸氏より養子)
 宍戸氏 -- ○ -- ○ -- 義綱 -- 義長(義利死後、海老ケ島城に入る) -- (子孫、常陸国残留。)

             -- ○ -- 義利(永禄4年より海老ケ島城・城代)
                 (佐竹方)







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2.  応永6年6月24日付 沙弥希宗(宍戸基家)買券写
3.  応永25年6月20日付 鎌倉御所足利持氏感状写
4.  応永30年3月8日付 鎌倉御所足利持氏感状写
5.  (年未詳)5月12日付 沙弥道朝(宍戸基里)書状写
6.  応永30年5月18日付 有善(宍戸満朝)書状写
7.  応永30年9月13日付 鎌倉御所足利持氏感状写
8.  応永31年8月30日付 真壁郡飯塚・窪両郷年貢算用状写 
9.  応永32年8正月付 常陸国留守所下文写 
10. 応永32年8月15日付 年貢算用状写
11. 享徳4年10月日付 足利成氏加判宍戸持周申状写 
宍戸一木文書の特徴
1. 「続常陸遺文 二 」所収の応永31年8月3日付一木満里譲状写は含まれていない。
  色川三中が謄写したした際には、一木家には応永31年8月3日付一木満里譲状写も残されていたが、その後何らかの理由で紛失したらしい。

2. 1号文書・足利氏満書状のみが原本であり、他は写であること。
  所領譲与や訴訟時の証拠書類として、譲状などの写しが作れて伝えられていくが、
  正文として、足利氏満書状が保持されたのは、それ自体に何らかの意味があったと思われる。

3. 「真家氏文書」(常陸誌料所収)と同様、応永を中心に、
  宍戸氏本宗家とは別に鎌倉府奉公衆として一家を成した時期の文書に集中して残存している、
  言い換えると、それ自体が一木氏などの宍戸氏庶流が宍戸氏から自立し続ける上で、自立を証明する文書として、一木氏を始めとする宍戸氏庶子が保持し続けたのではないか。





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