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(宍戸文書全9点は、茨城県史料中世編Ⅲに所収。) 総勢93名の内、苗字持ちは以下の20名のみである。 「茨城県史料中世編Ⅲ」では、『宍戸氏固有の家臣らしい苗字もちは見当たらない』と評した。
そうであろうか。 常陸中世武士団の史的考察 (中世史研究叢書)2016/6 糸賀茂男, 苗字持ち20名を分析した結果、 鹿島郡への浪人から佐竹氏配下宍戸氏当主として宍戸義長の直臣には、 1):旧宍戸氏系(佐竹氏へ臣従済み) 2):旧小田氏系(佐竹氏へ臣従済み) 3):その他 (既存の佐竹氏家臣) の新規直臣を配した(もしくは佐竹氏に配された)と判断できるのではないだろうか。 実際に、苗字持ち20名を見てみよう。 特徴として、官途は既に近世的な様相を持ち、仮名と官途名の混同が垣間見える。
(記述順:9号文書『宍戸四郎内家人覚』)
田土部半助
古尾谷縫殿頭
長峰茂吉
荒井外記助
月岡勝兵衛
入野掃部丞
薗部久助
杉田甚蔵
長峰惣兵衛
大嶋平次左衛門尉
菊田又助
小神野七右衛門尉
方野総助
平澤彦兵衛
三橋兵助
薗部新右衛門尉
真家忠兵衛
柳瀬右衛門尉
入野與右衛門尉
平澤與七郎
同じ苗字が複数いるとともに、 小田氏系・宍戸氏系と思われる苗字や地縁関係のある苗字もちがいることに気付く。 古尾谷氏 古尾谷縫殿頭
※ 常陸国北郡大増郷に拠った古尾谷氏の一族か? 薗部氏 薗部新右衛門尉
薗部久助
※常陸国南郡小河郷の薗部氏一族か? 田土部氏
田土部半助
※常陸国南野庄田土部に拠った小田氏重臣田土部氏(紀姓信太氏)の一族か?
真家氏 真家忠兵衛
※常陸国宍戸荘真家郷によった宍戸真家氏の一族か? 方野氏
方野総助
※常陸国北郡片野に拠った片野氏と同一か? 長峰氏 長峰茂吉 長峰惣兵衛
※常陸国長峰城に拠った長峰氏の一族か?月岡氏
月岡勝兵衛
※常陸国北郡月岡もしくは板橋城に拠った月岡氏の一族か? 小神野氏
小神野七右衛門尉※常陸国山ノ荘甲田城に拠った小田氏家臣小神野氏の一族か? 入野氏
入野與右衛門尉
入野掃部丞 平澤氏
平澤彦兵衛
平澤與七郎 三橋氏
三橋兵助
柳瀬氏
柳瀬右衛門尉
杉田氏
杉田甚蔵
大嶋氏
大嶋平次左衛門尉
菊田氏
菊田又助 荒井氏
荒井外記助
■関連情報
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覚書
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郷数や信仰に関わる数字として、四・八・十二・三十三・四十八・六十六・八十八などの数字がよく使われている。 が、厳密に対象を数えると、たいてい数が「足りない」ないし「多い」など、ぴったりいかない事が多い。 また、人により数える内容が異なる。 ここでは、例えば本当に四天王と呼ばれる人が四人きちんといたのか、などのの事例はここでは問わない。 要は、数のたとえ方だ。 ・(陸奥国)石川郡三十三郷
『豊臣秀吉文書集』
・武蔵国山田庄河越卅三郷 ・武蔵国師岡保内十二ヶ郷
常陸国内での使用事例 中世期の古文書などには使用例は実見されていない。 近世に入り、その呼称が多用されていく。
・中妻三十三郷 ・幸嶋十二郷 (『覚 幸嶋十二郷豊田三十三郷惣高』)
・豊田三十三郷(『覚 幸嶋十二郷豊田三十三郷惣高』)
・南方三十三館
中妻三十三郷や上足立三十三郷の表記に見える、総数のとらえ方 元来、個々個別に羅列するのでなく、○○12郷とか村方8カ村など、総体としてひとくくりの呼称で呼ばれることが多い。 当初、そのような括りで呼ばれることがなくとも、 近世期を超えて、××村8庄屋とか、古来12村などのように、尊称や他所との差別化のために呼称されていく。 中世〜近世初期の日本において、 日本六十六ヶ国や、奥羽六十六郡(陸奥五十四郡+出羽十二郡)、足立六十六郷やその半分を示す三十三郷などの数字は、必ずしも実数を示す数ではなく、 ある領域ないし範疇に対して、一つの完結した世界を表す虚数的数字としてあてはめているようです。 六十六部納経などの宗教的な意図が予想できるものや、十二の倍数なども同様の意味合いを持って利用されていた様子。 ▼参考論文: 長塚孝氏:「中世後期における地域概念の一事例一郷数表記による地域表示一」(『戦国史研究』 20 号) 佐倉由泰「奥羽の豊かさを語るということ―陸奥五十四郡言説を起点として―」(『説話文学研究』44) |
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「〈南野庄〉藤沢郷」応永12年10月3日の真言院支配在所注文
「常陸州南野庄神立郷之内白鳥之村」法雲寺文書
「南野庄高岡郷大雄山法雲禅寺正受庵守塔比丘某」法雲寺の大光禅師語録
「南庄安食郷,
一,井河掃部助 梶原五郎家人, 一,石河郷道場 同人知行, 一,完倉郷 聖道一人〈仮名有禅,野田遠江守〉知行, 一,安食郷 弥次郎 梶原五郎知行, 一,賀茂郷 孫四郎 小田治部少輔知行」 永享7年8月9日の常陸国冨有仁注文写
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※ 山田邦明氏『鎌倉府と関東 中世の政治秩序と在地社会』(校倉書房)を参照。
常陸宍戸氏系図、一木氏系図、真家氏系図、岩間氏系図 - 朝里 - 氏朝 - 満朝 - 持里 - (常陸宍戸氏) - 基家 - 持朝 (岩間氏)
- 家里 - 兼朝
- 朝雄 - 朝義 - 朝光 (真家氏)
- 基里 - 朝祐 - 直朝
- 満里 - 熊王丸(持周か) (一木氏)
※ 常陸宍戸氏および氏族の一木氏、真家氏、岩間氏に関する最新研究及び資料は、岩間町史または図録「常陸南北朝史−そして、動乱の中世へ−」(茨城県立歴史館) が詳しい。 ■関連情報
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応永十四年にうつされた旦那願文写において、完戸氏族の中に、河股次郎宗貞が含まれている。
これは、常陸国北郡内の河又郷(川股郷)地頭の河又氏とした場合、宍戸氏系の家系ないし宍戸氏家中と考えられまいか。
時間の間隔を考慮すると、文保三年(1319年)の「川俣郷地頭(藤原)次郎太郎家貞」と元徳元年(1329 年) の「河股次郎宗貞」は同一人物である可能性があると考えてる。
注意:原文書を実見していないので、「家」と「宗」の崩し字を比較していない。
常陸国北条郡当住法橋明厳 旦那願文写(熊野米良文書) |











