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服部英雄氏が既に全国にわたって中世地名を調査した研究がある。 服部英雄氏は、東京大学の学生時代、山田邦明氏らとともに真壁郡真壁町を踏査を行い、
その成果は、茨城県史研究に発表されている。
服部氏の研究によると、
各地に残る地名:御正作(みしょうさく)は、御正作・佃に同じく中世期領主の手作地・直営地を指すとされてる。
御正作(みしょうさく)は、全国各地の方言などにもより呼称・名称も変わる。
石岡市内に残る中世地名
石岡市小井戸には、小字に『三惣作』の地名が残る。
中世の小井戸は、複数の地頭が分割支配していた。
市街地から離れている立地条件から、従来の地形とともに「堀之内」「要害」などの古い地名なども残る。 小字『三惣作』は、御正作が変化したものと思われ、複数いた地頭の直営知だった可能性が高い。
ちなみに、山形県雄勝地方では、『味噌作』と変化しており、御園作などのバラエティに富んだ地方名称で呼称されるのも特徴だ。
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常陸国府中関連
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石岡市小井戸地区に字「萬所」が残る。
鎌倉末期の小井戸郷は、複数の地頭による分割支配されており、
堀之内や要害などの地名も残る。
石岡市大字小井戸地区(2017)
字「萬所」がある場所は、北面には園部川が流れ、隆起には田園が広がる。
ただし、字「萬所」の示す場所は、複数の小さな舌状台地の切れ目にある谷津である。
小字「萬所」・「三惣作」:石岡市小井戸地区2017
赤枠線・・・・小字「三惣作」
水色線・・・・小字「萬所」
好意的に予想すれば、谷津の上手の舌状台地部分に、屋敷があったとか、
年貢米などの船着き場であったなど、想像するが、
その想像を強くする小字は見当たらない。
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戦後以降の、常陸府中城周辺開発
1945年以降 府中城本丸跡の住宅地化
1970年代 府中城二の丸跡・磯部出丸に、新日東金属社宅アパート群建築。
府中城水堀跡:上池が、市民プール用地として埋め立て。
府中城水堀跡:下池が、宮下情動公園用地として埋め立て。
1970-80年代 磯部出丸周辺が住宅団地開発。
府中城宮部出丸跡直下の水堀跡が、住宅団地化。
1980年代 府中城本丸跡の北側斜面の住宅団地開発。
水堀跡:鈴が池の埋め立て造成。
1990年代 府中城本丸跡に、縦貫道路建設。
府中城宮部出丸跡水堀・空堀が、公民館用地・墓地用地として埋め立て。
2000年代 府中城本丸跡南斜面および南側が、分譲住宅地化。
2010年代 府中城本丸跡-宮部出丸跡の間の水堀跡が、集合住宅地化。
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今回新たに判明したのは、
府中城箱の内出丸跡と磯部出丸跡の間の水堀跡であった梨園跡(既に耕作放棄)が
分譲住宅地化されていたことに気が付いた。
破壊される常陸府中城跡1:出丸水堀跡の開発(2017)
赤枠枠線・・・・・・・・2017年に分譲地化した水堀跡
水色枠線・・・・・・・・石井土塁(遺跡地図登録済み)
ミドリ枠線・・・・・・・・府中城箱ノ内出丸跡
黄色枠線・・・・・・・・府中城磯部出丸跡
赤紫枠線・・・・・・・・府中城三の丸跡
城館跡および堀跡などを色濃く残していた農作地が
昨今、農業従事者の高齢化により、未耕作地と荒れ果て、
ついには、未耕作地の課税増加により、
田畑売却を経て、賃貸住宅や個人住宅地となるなど、この10年で大きくその景観を変えている。
常陸大掾氏の本拠地であった、常陸府中城跡は、
JR石岡駅から近距離だが、旧市街地に取り囲まれており、
かつ城館のあった立地から簡単に開発が入る立地が少なく、
昔ながらの田畑が残り、水堀跡や出丸跡の形状が残っていた。
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陸前浜街道府中宿・泉町、
現在の茨城県石岡市府中2丁目〜府中三丁目を縦断する国道の道路拡幅に伴い、
旧陸前浜街道北側の町屋取り壊し、ないし移転がほぼ終了。
既に、府中三丁目交差点付近では拡張工事が完了し、
長年の懸案事案であった、朝夕の交通渋滞の解消の兆しが見えている。
今後は、JR常磐線に係る泉橋までの道路拡幅工事が進められる。
一方で、大掾氏滅亡後の常陸府中復興の中、
『荒宿(新宿)』として新規に取り立てられて以降、近世の常陸府中宿の一部をなした街並みは、
今回の国道の道路拡幅で旧陸前浜街道北側部の消滅を迎えた。
蛍光黄色帯・・・・・・道路拡幅指定区域
赤枠線・・・・・・・・・・江戸期・千手院(現在廃寺)寺域
水色線・・・・・・・・・・江戸期・国分寺(千手院隠居寺)寺域
紫色線・・・・・・・・・・江戸期・国分寺薬師堂(現在国分寺)寺域
そもそも、80年代以降、近隣の駅前周辺および旧市街地の各商店街とともに衰微しつつある中、
商店は次々に店仕舞いしていったのは事実。
現在は、北側に、(株)石塚醤油醸造の店舗兼工場が、南側には明治初期に近江から移住した近江商人の金子源兵衛が起こした醤油醸造業旧店舗などが残されているのが現状だ。
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