常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

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「総社文書補遺」 (安得虎子巻一 所収」)
※「石岡市史・中巻」に所収されている石岡市総社宮所収常陸国総社宮文書にも収録されていない文書。

「手千院」・「清塔寺」などの誤記があり、「坪」表記であることなど、原文書を創出し近世期に模写・複写を繰り返した結果と思われる。

慶長〜文禄間の、佐竹氏による府中統治及びその終焉の一端を垣間見れる文書ではないか。


----------------------------------------------------------
於府中 御免之屋敷

二百四十坪 手千院    八百七十坪 国分寺
九百五十坪 清塔寺   三百二十五坪 道場
三百九十坪 広大寺    三百六十坪 浄土寺
 七百十坪 神主

以上七か所

慶長7年十月八日
窪田仁朗兵衛 天種仁右衛門 下三八
宮沢次郎兵衛

----------------------------------------------------------


解題;

1. 寺院の比定


・手千院 ⇒ 千手院(明治期に国分寺と合併)
・国分寺 ⇒ 真言宗国分寺
・清塔寺 ⇒ 清凉寺(府中領主佐竹南家菩提寺)
・道場 ⇒   時宗華園寺
・広大寺 ⇒ 天台宗東耀寺(寛永年間に、真言宗から改宗し寺名変更)
・浄土寺 ⇒ 浄土宗照光寺
・神主 ⇒ 総社宮神主清原氏


2. 御免地の格差
  御免地が最大なのは清塔寺(清涼寺)である。
  理由は、府中領主「佐竹南家の菩提寺であったことから、そのまま継承したか。

3. 慶長二年の府中町立て(再建)
  清涼寺は、尼寺が原から引き寺されるとともに、佐竹南家の菩提寺化。
  浄土寺(昭光寺)は、鹿の子原から引き寺、現在の寺院名はこれ以降のものかもしれない。
  
4. 発給者について
  佐竹氏の出羽移封後の、一時天領化した際に、奉行ないし代官衆か。


安得虎子関連情報:




茨城県石岡市東部には、近世期の常陸国府中平村において使用されていた、海道名と思われる小字名が現在も複数残る。
江戸期以前、つまり中世期の府中から各地域へ至る主要街道であったと思われ、
中世期においても近隣各地へのアクセス街道として利用されたと思われる。





以下の4つの海道について推測してみた。

・竹原道
・大橋道
・小川道
・海道(近世以前の陸前浜街道の原型街道)


竹原道、大橋道、・小川道の特徴として、3つの海道とも、一つの道筋で常陸府中の町場から出て、
途中の字「大塚」付近で、それぞれの方向へ分岐する。

一つの考え方として、小字「大塚」が東から府中に入る通過ポイントであったようだ。
「大塚」の名称でありながら、現在、視認できる古墳や土塁などはなく、過去あったという伝承も聞かない。


江戸期の府中絵図では、江戸期の小川街道を現在と異なるルートで示している。
明治迅速図では、既に現在の小川街道ルートを示しており、
江戸中期〜後期の府中宿周辺の開発・移住に伴い変化していったと思われる。

※地名は基本小字名。

(竹原道)

大塚 ⇒  ⇒  ⇒  ⇒  ⇒ ⇒ 東ノ辻 ⇒ 上人塚 ⇒ 大橋上坪 ⇒ 竹原  

(大橋道)

大塚 ⇒  ⇒  ⇒  ⇒  ⇒ 東ノ辻 ⇒ 八軒 ⇒ 大橋香取

(小川道)
大塚 ⇒  ⇒  ⇒  ⇒ 大和町 ⇒ 東石岡 ⇒ 小川道 ⇒ (東)田中(高野浜城) ⇒ 玉里
※ 江戸時代の絵図では。各街道が字大塚にて分岐している様子がうかがえる。
※ 明治迅速図作成以前に、森横通りから南下し、山王川を渡った後に、
  現在の石岡一高下から兵崎町台地へ伸びる道筋に変わったと思われる。


近世以前の大海道(陸前浜街道成立以前):

陸前浜街道の成立以前の、海道ルートとして、

石岡市茨城付近から、山王川を渡り、大谷津から東大橋を経由して、竹原へ抜けたといわれる。

(海道)
根本台 ⇒ 田崎 ⇒ 大谷津 ⇒ 小川道 ⇒ 八軒 ⇒ 東ノ辻 ⇒ 滑川 ⇒ 荒金 正上内 ⇒ 大谷
                                          ⇒ 出山
                            ⇒ 大橋 ⇒ 竹原城大手橋

府中東部外延部の推測
旧道の存在を考慮すると、「小字東ノ辻」は府中東部の辻(海道交差点)であった名残とみてよいだろう。

東ノ辻の東側〜八軒の間には、大橋郷(東大橋)の生板池からつづく低湿地帯がある。
これが、府中領域と大橋郷の境になったようで、
この低湿地帯に沿って、根本台から行里川へ続く旧道が走る。

根本台 ⇒ 田崎 ⇒ 大谷津 ⇒ 小川道 ⇒ 八軒 ⇒ 東ノ辻 ⇒ 滑川(行里川)、






佐竹一族の中世(高志書院) [編高橋 修] に、額賀 大輔氏が書かれたコラム:「小田城跡・鹿島城跡・府中城跡」が収録されている。


     =>「佐竹一族の中世」の内容を立ち読みするにはこちら♪

額賀氏は
現役の笠間市教育委員会生涯学習課の文化財担当職員でもあり、大学では日本中世史研究室の卒業をされている。

他市の現役文化財担当職員が、常陸府中城(茨城県石岡市)をどのように見てとらえているか知りたいのだ。




額賀氏が勤務する笠間市にある笠間城と異なり、
常陸府中城跡の近世の運用は陣屋形態での三の丸およびその外部を利用されていたにすぎず、
府中城の大半(本丸、二の丸)は「城中」として、常陸府中藩管理下に置かれたものの、
その他の城郭部:長宝寺郭や各出丸(箱の内出丸、磯部出丸、宮部出丸)および総構えの区画は、
慶長期以降の府中の都市再建のために、近世府中平村中心・府中宿として市街地化していった。



中世後期まで存続した、関東地方の城郭の多くに当てはまることだが、
城郭の主郭のほかに、周辺台地を取り込んだ「総構え」形式になっていることが多い。
その結果、宿場や屋敷地を取り囲んだかたちとなっただけであるが、

そのため、研究家や城郭愛好家が「城跡と把握されている個所ないし認識される箇所」が非常に心もとなく感じる。

否、そのようにしか認識されていないのが現状であり、そのようにしか見えない現地の状況から判断されているのだろう。

今回の額賀氏の論考は他の研究家や城郭愛好家の意見と比較して、どのような視点から論じておられるか、非常に興味がある。

また、佐竹一族の中世(高志書院) [編高橋 修] には、茨城県立歴史館・主席研究員の寺崎里香氏の論稿:
南北朝期の動乱と佐竹氏」も収録されているのも注目だ。

※他県に所在する「府中城」と区別するため、「常陸府中城」と仮称しています。







江戸期の常陸府中平村の絵図を見ると、
現・石岡市国府二丁目付近に屋敷跡が残る。(以後、近世屋敷)
旧町名では金丸町に当たる。

税所屋敷(明治迅速図ヨリ)
イメージ 1


明治期に、税所氏は絶家となり、現在、税所氏直系の子孫は存在しない。
その際に、所蔵していた税所文書三帳は、第一帳が同町内で筋向いの酒造家山本家に、第二帳・第三帳が大洗町の山戸家に移動している。


中世期は、現・石岡市茨城にある万福寺の寺域が税所氏の屋敷跡ともいわれ、五輪塔も残されている。
(以後、中世屋敷)

中世〜近世には、すでに万福寺が菩提寺として活動していることから、
府中城の廃城ないし慶長期の常陸府中の町立て以降には、
近世屋敷を住居を移していたことが予想できる。

理由は二つ:
1. 税所氏の活動が、府中地域,に限定した社家の活動となった。
2. 鹿島社(鹿島市宮中)付近に存在したであろう、鹿島税所屋敷およびその役割が消滅したこと。

税所屋敷跡は、弓削氏の屋敷跡といわれることから、
地縁血縁などの関係を頼りに府中町の中心により近い弓削氏の中世期屋敷跡地に進出したのではないか。

近世初期に弓削氏が活動したことを記述する記事が、地誌などに散見するが、近世中期以降、弓削氏の名前自体が伝説化していく。


江戸期、税所氏のほか健児所氏(こにしょ・小仁所)とともに、中世期の祭祀の名残を引き継ぎつつ、
明治期を迎えた。
  
古仁所氏は、常陸府中の荒宿(現・石岡市泉町)に屋敷を構えたらしく、明治期初期の地誌にも書かれている。


参考図書 
・ 石岡市史
・ 茨城大学日本史研究室「茨城中世史研究」1〜3
・ 茨城県史料中世編 I、II 






常陸府中・府中平村


天保期常陸府中絵図(「石岡の地誌」所収):
イメージ 1


























































石岡市史上巻所収:昭和30-40年代石岡市貝地・茨城・小目代地区の伝承地名および場所
イメージ 2





























石岡市史所収常陸府中藩府中陣屋の回想図(幕末ごろの陣屋を回想したもの)
イメージ 3












































天保期常陸府中絵図(「石岡の地誌」所収):
府中陣屋付近の拡大図
イメージ 4

































イメージ 5



























石岡市史所収・常陸府中藩鹿の子屋敷の地割回想図(明治初年)
イメージ 6

























































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