常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

常陸大掾氏累代

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「佐竹乙寿丸と山尾小野崎氏―入嗣の経緯を中心に―」笹岡明 著 (茨城史林第37号)

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▼ 天狗騒動一五〇年について / 佐久間 好雄(1932〜)/著
▼ 古代常陸国筑波郡筑波郷について / 久信田 喜一/著
▼ 東国における近世前期の村落と村請制―新治郡太田村を中心として― / 栗原 亮( 日本史)/著
▼ 加担した者たちから見た結城戦争―彰義隊士と会津藩士― / あさくら ゆう/著
▼ 新四国相馬霊場八十八ケ所の成立と返還 / 近江 礼子/著
▼ 個人日記に見る明治・大正・昭和の出来事 / 栃木 敏男/著
▼ 佐竹乙寿丸と山尾小野崎氏―入嗣の経緯を中心に― / 笹岡 明/著
▼ 『安政江戸大地震記録』を読む
▼ 【史料調査報告】北茨城市・常陸太田市・水戸市・行方市・鉾田市の調査 / 久信田 喜一/著
▼ 北茨城市・滑川家文書
▼ 常陸太田市・西野家文書
▼ 行方市大家文書
▼ 北茨城市教育委員会所蔵資料
▼ 水戸市小田部家文書
▼ 鉾田市・田山家文書







小田原北条氏と唐人町と常陸大掾慶幹に関係する情報をまとめました。

以下3点は、便宜上『結城市史第一巻 古代中世資料編』で再確認した。

1. (弘治二年)3月20日付け 白河(晴綱)殿宛て 北条左衛門大夫綱成書状(遠藤白川文書)
  『(略)乃去年唐人以罷上候便(略)

2. (弘治二年)7月22日付け 白河(晴綱)殿宛て 北条左衛門大夫綱成書状(遠藤白川文書)
  『(略)兼又彼唐人十一官拙者モ存知之者ニ候、(略)

3. (弘治二年)初秋廿五日付け 白河(晴綱)殿宛て大掾慶幹書状(遠藤白川文書)
 所収:古河市史資料中世編0945
    『(略)兼又先度唐人穆橋馬之事申届候キ、(略)


小田原・唐人町(とうじんちょう)の現在地:


使者として「唐人」登用に触れた書籍

唐人町と三崎湊について論文収録

関連論文
●黒田基樹氏による、小田原・唐人町に関する小論   日本歴史・掲載号不明
●後北条氏の外交と小田原唐人町 柴辻 俊六   日本歴史 (749), 2010-10 
●第1次朝鮮通信使・副使 慶七松 著 『海嵯録』 若松實訳 (1997): 日朝協会愛知県連合会, 21-37
 ⇒ 中国船が遭難、小田原に漂着し、帰国しなかった十余人とともに小田原で生活していた葉七官の記載あり

未確認情報
北条氏政書状に、中国船とみられる船が着岸したことが記した書状があるようだ。



初秋廿五日 大掾慶幹書状(遠藤白川文書)   所収:古河市史資料中世編0945


(前略)

始中終申合令帰国候、就之覚悟之旨、彼者仁申含候、能ゝ被相尋御塩味可為簡要候、通路難計候之間、不預紙面候、兼又先度唐人穆橋馬之事申届候キ、速御挨拶之由候間、重而啓候、巨細永得院可有伝語候、恐ゝ謹言。

追、路次雖物悤候、良久絶通音候之間、態啓候、近日者、結城口も静之様候、可御心安候、
猶以馬之事、当用之間、不顧思慮申届候

初秋廿五日/慶幹(花押)/白河殿
















黒嶋 敏氏は、論文『足利義昭の政権構想―「光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚」を読む―』
にて、永禄年間後期に、特に関東衆について後補されていると論じている。

そもそも、大掾清幹は永禄6年段階では誕生しておらず、
永禄6年当時、常陸府中には佐竹義昭が入っていた事実からも、
「光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚」の関東衆の記述は後世に当時の情勢を追補
編集されていると考えるのが妥当だろう。

光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚書 
永禄六年五月日 

(中略)

関東衆 
古河足利左馬頭義氏、
簗田中務大輔、武州 
里見安房守、安房、
千葉介胤富、下総 
庁南上総介、上総 
佐竹修理大夫義昭、常陸 
小田讃岐守、常陸、
宇都宮弥三郎、下野 
佐野小太郎、下野、
横瀬信濃守、由良、長尾但馬守、上野、
太田美濃守資正、武州、 
常陸大掾清就、常陸府中
市田太郎、上州 
上杉正栄、上州、
葛西、奥州 
氏家修理亮、奥州大崎、南部大膳亮、奥州 
九戸五郎、奥州二階堂、最上出羽守、奥州 
相馬次郎、奥州、
岩城掃部助、奥州 
長沼淡路守、下野、
結城左衛門尉、下総 
成田下総守長泰、武蔵 

右永禄六年諸役人附以伊勢貞春本校合了



黒嶋 敏氏の論文『足利義昭の政権構想―「光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚」を読む―』が収録されているのは、中世の権力と列島 単行本 – 2012/10 黒嶋 敏 (著)です。




享徳の乱 中世東国の「三十年戦争」 (講談社選書メチエ)2017/10/11 峰岸 純夫 : 「関東の大乱」というのは享徳3年(1454)12月、鎌倉(古河)公方の足利成氏が補佐役である関東管領の上杉憲忠を自邸に招いて誅殺した事件を発端として内乱が発生し、以後30年近くにわたって東国が混乱をきわめた事態を指す。 この内乱は、単に関東における古河公方と上杉方の対立ではなく、その本質は上杉氏を支える京の幕府=足利義政政権が古河公方打倒に乗り出した「東西戦争」である。しかし、これほどの大乱なのに1960年代初頭までまともな名称が与えられておらず、「15世紀後半の関東の内乱」などと呼ばれていた。








石岡市まちかどセンターにおいて開催中の「石岡展」にて、
矢口氏所蔵文書の中の大掾清幹書状2点(原本)がH29/5/1まで展示中。
※ 既に展示終了。

1. (年月日欠) 屋口源四郎 宛   大掾清幹官途状 (平衛門尉)
2. 12月 日   矢口平衛門尉 宛 大掾清幹官途状 (石見守)


同時に、近世期府中平村(府中宿)の事柄を書き留めた地誌:府中雑記の原本や「大掾清幹荒々家臣録」、府中町絵図など、近世期に府中宿町年寄を務めた矢口家に伝わる古文書類が展示されています。

ご興味のある方、2017/5/1までにどうぞ〜。





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