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美濃国小木曽荘地頭真壁政幹についての私見--真壁町史料中世編の文書をみて
神村 透
信濃 [第3次] / 信濃史学会 編
57-2 661号 2005-02
美濃国小木曽庄下保舊田(南木曽町下町)
観応三年壬辰一二月二十三日 光幹(花押)
小木曽荘内の鹿島神社
鹿島神社
〒399-5502 長野県木曽郡大桑村須原505−5
木曽郡大桑村大字須原字鹿島506
鹿島・香取神社例祭
上松町荻原地区氏子:小野、荻原、宮戸地区
木曽郡上松町大字荻原3357
鹿島神社
木曽郡大桑村大字野尻字鹿島平1818
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常陸平氏
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常陸真壁氏に関する研究は、『真壁町史料中世編』の編纂と、
それらに携わった糸賀茂男氏や、
愛知大学教授の山田邦明氏の研究成果によるところが大きい。
山田邦明氏は、複数回の真壁氏本宗家の交代と庶子家による真壁氏再興、
そしてプレ真壁城の存在を初めて論じたのも、山田氏の研究成果でもある。
詳しくは、『真壁氏と真壁城―中世武家の拠点』を参照されたい。
さて、佐竹氏の家臣として存続しえた真壁氏を立て直したのは、
永享年間に嫡流真壁慶幹の庶子・氏幹から総領家を奪取した、庶流・真壁朝幹である。
真壁氏総領家・二度目の交代
残存する古文書から分かる事柄として、
南北朝時代に、すでに一度目の総領家交代が起こっている。
京都扶持衆としての真壁秀幹は、鎌倉公方・足利持氏の命による鎌倉府軍に責められ、応永31年に落城。
真壁秀幹は落城後逃亡、秀幹の継子・慶幹も失踪してしまい、総領家相続が近親のみならず、一族および真壁氏家中を巻き込んでいく。
真壁氏幹 と 真壁朝幹 との真壁氏総領家相続争い
氏幹(真壁秀幹の継子)
皆河法勧(家中)
河田法栄(家中)
長岡広幹(親類)
白井貞幹(親類)
本木家幹(親類)
白井師幹(親類)
※ 年未詳6月13日付 真壁氏親類等連署起請文(真壁文書118号)
朝幹(真壁秀幹の甥)
皆河左衛門尉綱宗(家中)
河田伊豆入道(家中)
竹来左衛門入道(家中) ※ 長禄05年(1461) 5月15日付 真壁朝幹置文写 次郎 (真壁文書34号) ※ 寛正7年(1466) 3月26日付 真壁朝幹置文写 かもの助 小三郎 (真壁文書35号)
※ 寛正7年(1466) 3月26日付 真壁朝幹置文写 光明寺ほか5名 (真壁文書36号)
※ 文正2年(1467) 3月10日付 永真(真壁朝幹)譲状写 〔かものすけ〕 (真壁文書37号)
※ 文正2年(1467) 3月10日付 永真(真壁朝幹)置文写 〔掃部助」 (真壁文書38号) ※ 永享11年4月 真壁朝幹代皆河綱宗目安写(真壁文書117号)
※ 永享11年6月 真壁朝幹代皆河綱宗目安写(真壁文書119号)
近年の常陸真壁氏に関する論稿
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「真壁文書」など中近世の古文書類を多数伝えた常陸真壁氏についての情報をまとめた。
➡ 真壁文書
真壁文書を翻刻・写真入りで解説したのが「真壁町史料」である。
現在、真壁文書を勉強する、最も良い資料集。
「真壁町史料」の内容・購入方法は別稿を参考。
南北朝の同時期に、真壁幹重が南朝、真壁高幹が北朝として活動していることが、
真壁文書以外から判明しており、系図にあるような親子関係ではなく、
同族間で主導権が移動したとの論考が主流。
また、真壁政幹のように、美濃国を本拠地とする一派が北朝として活動し、
正幹の孫・広幹の子孫が真壁氏の血流を繋いでいったことから、
ここでも、真壁氏の家督は別流に移動したことが判明している。
永禄年中の幕紋は『割り菱』。家中の白井氏も『割り菱』。
秋田藩士となった子孫は、『橘紋』を使用。
桜川市真壁町古城・山尾に所在。
現在残る真壁城跡は、
真壁氏が出羽国へ去る直前の安土桃山末期の真壁城跡の姿を残す。
史跡公園として整備真っ最中。交通案内はこちら。
➡ 真壁城跡・国指定史跡化記念シンポジウム
H6年10月に真壁城跡が国指定史跡に指定されたことを記念して、
真壁町体育館にて行われた。石井進氏、山田邦明氏、服部氏などが講演。
記念シンポジウムでの講演内容や資料は、真壁氏と真壁城―中世武家の拠点として、
河出書房新社より刊行されている。
➡ 亀熊城
真壁城に移るまでの、真壁氏の本城だった可能性が提唱されている。(桜川市亀熊)
中世期の真壁氏一族の墓石群とされる。
桜川市真壁町山尾525-1 遍照院の境内に所在。
茨城県指定文化財(史跡)
戦国期後半からは、佐竹氏との協力関係を維持し豊臣政権下では佐竹氏配下として生き残る。
出羽移封後、1000石もの高待遇で、江戸期を通じて久保田藩重臣扱い。
この時点で家紋は『橘』に変化。
➡ 常陸真壁氏・秋田藩士真壁氏の子孫
現在は、東京都内に在住。
すでに手元をはなれていた「真壁文書」以外に所蔵した近世期文書や真壁氏関係物は、
真壁町(現・桜川市)へ寄付されている。
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2016年1月7日夜、
【鹿島神宮文書:乾元二年 正月青馬之事并七月御祭大使役之事案】
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小川台および沼尻で行われた、下野・常陸・下総北部の領主らによる対後北条氏戦について紹介されたことが契機になり、一般の人にも知られて、ムック本にも取り上げられるになった合戦である。
もちろん、研究者の間ではすでに知られた史料であり、各地方自治体の市町村史にも取り上げられているように新規発見されたわけではない。
1) 関東での戦いとその背景を、中央(豊臣政権)との動きと連動して解釈を加えた点
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