常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

常陸平氏

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古河公方下にて常陸国行方衆・鹿島衆と呼ばれていた常陸国行方郡および鹿島郡に割拠した国人領主らに対して、古河公方から官位受領されていた。古河公方を頂点とした序列構造を確認したい。





 位階    官位                行方衆            鹿島衆       
正五位上 大輔(民部・式部・治部)   下河辺式部大夫     中居治部太輔
                         下河辺民部大輔
                         手賀刑部太輔
                         手賀民部太輔
                         山田宮内太輔 

従五位上 兵庫頭
       常陸守

従五位下 少輔(民部・式部)
       但馬守

正六位上 近衛府将監 (左・右)                   津賀左近大夫将監

正六位下 常陸介            小高常陸介      鹿嶋常陸介
       土佐守              玉造常陸介
                          嶋崎常陸介
                            芹澤土佐守

従六位上 宮内将監             山田宮内将監
                          下河辺左近将監

従六位下 兵衛大夫(左・右)
       衛門大夫(左・右)       嶋崎左衛門大夫    鹿嶋左衛門大夫
                            嶋並右衛門大夫            
正七位上 兵衛少輔(左・右)
       衛門少輔(左・右)
        



茨城県史料Ⅵ 連川文

「持氏公・晴氏公・政氏公 御書寫
 義氏公・頼氏公・高基公      」42号足利義氏官途状写(書札礼)

御書

父越前守以走廻之筋目忠信致切逗塞候由、感思召候、乃名國司之事申上候、御意得候
謹言

   五月十三日 太田越前守殿

一 行方郡中へ御書被成各々

嶋崎 行方左衛門大夫 日下謹言        烟田又太郎       謹言 
小高 行方常陸介       謹言        武田七郎五郎      謹言
玉造 行方常陸介       謹        山田宮内太輔      謹言
   手賀刑部太輔      謹言     惣領 中居孫三郎       謹言
   同  民部太輔      謹言        同  治部太輔      謹言
   下河邊式部大夫    謹言        嶋置右衛門大夫    謹言
   芹澤土佐守       謹言        鹿嶋左衛門大夫    常陸介二受領
   津賀左近大夫将監   謹言
      
一 御佛事付而関東中へ御書案



山田邦明氏・糸賀茂男氏の研究により、常陸真壁氏の系図に再考が加えられました。
これで、より史実に近づいた可能性があります。

山田邦明氏・糸賀茂男氏考察の真壁氏系譜
友幹時幹成幹盛時−①幹重(南朝・)
 I                  −②高幹(北朝・康永3年足利尊氏に従軍)
 I 
 I            -------光幹(永仁六年(1298)小木曽庄地頭真壁政幹代官
 I -------丸 -------政幹−③広幹顕幹秀幹慶幹氏幹
      美濃国小木曾荘地頭          朝幹尚幹治幹久幹
            

【流布している真壁氏系図】
多気直幹真壁長幹友幹時幹成幹行幹幹重高幹政幹広幹顕幹秀幹慶幹朝幹尚幹治幹久幹氏幹房幹重幹幸幹充幹安幹


山田邦明氏・糸賀茂男氏は、伝来する真壁文書および各地の古文書の記述内容を考察して、
流布している真壁氏系図との矛盾を指摘した。
そして、鎌倉末期〜室町初期、並びに南北朝期の真壁氏当主・真壁氏本宗家の継承に新たな考察を加えたのが、上記の系図である。








常州谷田部氏

平姓谷田部氏は、東茨城郡茨城町谷田部地区が発祥で、
石川氏や長岡氏と同じく、常陸平氏石川氏族と思われる。

新編常陸国誌などを引用し、鹿島郡矢田部村(現・神栖市矢田部地区)から移動したとする書物もあるが、
鹿島氏系矢田部氏と混同している。

また、つくば市にある谷田部城跡を拠点とした、岡見氏系谷田部氏とも混同されていることも多いが、
全く関係ない。


以下は、勝田市史・中世編記載の谷田部氏系図を参考に、
鹿島神宮文書所収谷田部氏発給文書を元に再構成した。

平姓谷田部氏系図

江戸但馬守通雅   - 雅胤
              ↓(養子)
---- 谷田部主計■  - 越後守雅胤  - 中務少輔重種(重胤)  - 弘胤  - 
                       - 越後守種       - 重胤  - 道実  - 

他の平姓氏族同様に、臣従する江戸氏より養子を迎えて重臣化するパターンが見受けられ、
これが事実であるかは今後の課題である。




今月7月1日に東京大史料編纂(へんさん)所(東京都文京区)と長浜城歴史博物館(滋賀県長浜市公園町)が戦国武将、嶋左近(島右近清興)の書状2通が見つかったと、発表した。


いずれの二通も、常陸国領主佐竹氏重臣に当てだが、そのうちの一通は、同じ常陸国領主の常陸大掾氏に関した内容のものであることが判明した。




 戦国武将、石田三成の重臣、嶋左近の書状2通が見つかったと、東京大史料編纂(へんさん)所(東京都文京区)と長浜城歴史博物館(滋賀県長浜市公園町)が1日、発表した。左近の書状が完全な形で見つかるのは初めて。検地の方法を指示するなどの内容で、同博物館などは「猛将とされる左近だが、官僚としての能力もあったことが裏付けられた」としている。
 同編纂所の村井祐樹助教が昨年11月、大阪府内の民家で発見し、同博物館の太田浩司館長と調査していた。
 1通は豊臣秀吉が北条氏の小田原城(神奈川県)を開城した直後の1590(天正18)年7月19日付で、縦33・6センチ、横46・5センチ。常陸国(現在の茨城県)の武将佐竹義宣の家臣小貫頼久に宛て、常陸の大名の大掾(だいじょう)氏が秀吉の命である人質の差し出しを渋ったことについて照会した内容。
 もう1通は6日後の25日付で、義宣の一族に検地の方法や兵糧米の徴収などを指示する内容。縦32・7センチ、横45・2センチ。2通とも左近の実名の「清興」と花押が記されていることなどから、左近の書状と確認した。
 左近は関ケ原合戦で勇猛に戦ったとされ、武闘派のイメージが色濃い。江戸期の俗謡では「三成に 過ぎたるものが二つあり 嶋の左近と 佐和山の城」ともうたわれた。
 左近のものとされる書状は国立国会図書館(東京都千代田区)所蔵の断片があるが、信ぴょう性は低いとされる。2008年には左近の名前が記された三成の書状が長浜市高月町で見つかっている。
 太田館長は「伝説と思われていた人物の実像に迫る発見。猛将だけでなく能吏であることが分かった」と説明。村井助教は「小田原攻め後の秀吉の東国支配について分かる貴重な資料」としている。書状は23日から8月31日まで同博物館で開く特別展で展示する。



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