常陸国中世史備忘録(常陸大掾氏と常陸府中)

常陸大掾氏や常陸平氏を中心に取り上げています。文献屋なので論文を書く資料として、特に面白くも無い古文書や史料を掲載していきます。

秋田藩士系図

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ | 次のページ ]



山尾小野崎氏:佐竹氏に臣従した小野崎氏の宗家


―親通―通載―成通=義昌※弥 市宣政―隆通―處通―平蔵


※小野崎義昌(義政):
佐竹義篤の三男。兄である佐竹義昭が常陸府中で死去すると、昌幹を名乗り常陸大掾慶幹の後を引き継ぐ形となる。大掾貞国が「三村より府中へ本意」したことから、佐竹氏に戻ったとされる。
そののち、山尾小野崎成通の死ののち、山尾小野崎氏を継ぐ。

室町以降、小野崎氏は複数の庶流を生み出し、中世末期には、山尾小野崎氏から早くに分出した石神小野崎氏、額田小野崎氏が独自に勢力を伸ばし、この3つの小野崎氏の勢力圏が均衡した状態となる。

山尾小野崎氏、石神小野崎氏、およびいくつかの庶流は、佐竹氏の出羽転封に同行する。

額田小野崎氏は戦国末期に江戸氏と争いが生じ、伊達氏側に脱出する。のち、常陸国に帰国して、水戸藩に出仕することになる。

















「佐竹一族の中世」の中でも取り上げられていた、佐竹西家(小場氏)家老職にあった羽生氏。

「佐竹一族の中世」第13章「秋田移封 -付き従った者たち-」(平岡章 著作)では、
宝暦年間の当主、羽生縫殿ノ允治友を取り上げ、過去の情報の伝達の難しさを示している。



前小屋氏、山田氏、高橋氏と並び、常陸国在国時すでに小場氏4宿老であったともいわれているが、
出羽入国以後、引き続き佐竹西家の家老職を担う家柄であった様子。
(茨城県史料III 小泉文書解説では「小屋氏、山田氏、高橋氏、羽生氏」とある。)

秋田移封から既に100年たった、羽生治友の時代には、
秋田移封の記憶や記録は薄れつつあった事を伺わせる


元禄9年 (1696)の系図・由緒などの文書提出命令の際、
羽生縫殿ノ允治友は、1)父・平右衛門の早世、2)自身が10歳の幼少 などにより、
お尋ねの「羽生将監」が先祖であるか返答できなかった。

羽生縫殿丞−−−○―○―平右衛門―縫殿ノ允治友
                  
                 |
                糸井氏

宝暦4年 (1707)、治友が提出した由緒書によると
1)他の羽生家は当家の分家、
2)伯母が祖父より「先祖の羽生縫殿丞は移封前は「羽生将監」と名乗っていた」聞いた。
3)佐竹東家:義堅が将監を名乗ったため、遠慮して将監から縫殿丞に変えた。
と、文書改奉行に由緒改めを提出している。

のち、秋田藩が提出させた系図は以下の通り:

平姓羽生氏
文化12.8. 羽生左司馬治篤 
西家家老 
備考 1 -治継※―治近―治國―治枝―治友―治貞―治央―治時―治篤 
備考 2 ※慶長七御遷封之時右兵衛尉義成二従テ羽州工下ル 

上記系図中の羽生治継が、「羽生縫殿丞」であり「羽生将監」であったわけだ。


秋田藩では、大量の文書類や系図、書籍を残したわけだが、
それは、反を挙げての事業、文書改奉行の活動の成果ともいえる。
その一方で、偽文書や偽系図の作成が横行し、本家分家の争いを引き起こすなど、
文書改奉行の仕事を大幅に増やす結果となったことは無視してはならない。









出羽移封が決まった佐竹氏は、俸禄の少ない家臣については連れて行かないとして召し放った。
佐竹一族の中世に収録されている『13章 秋田移封―つき従った者たち―』に詳しい。



ここでは、大掾氏・小田氏・宍戸氏などと関係する系譜を持つ秋田藩士について、
取りまとめていた。


・常陸平氏系

・南方三十三館

・笠間氏系


・小田氏


・宍戸氏


・江戸氏系

・その他


富原文庫蔵 陸軍省城絵図 単行本(ソフトカバー) – 2017/5/8 富原 道晴 (著) : 富原文庫が発見した明治初期の幻の城郭絵図「陸軍省城絵図」をまとめた史料集です。本絵図群は、国内の城郭を管轄していた陸軍省が、全国各地の城跡の施設・敷地を有効活用するために作成されたもので、同時期に最新の技術で作成された日本唯一の城郭調査絵図です。これらの絵図の多くは長らくフランスに渡っていましたが、城郭研究家・富原道晴氏の蒐集により、国内に里帰りしたものです。新発見の城郭絵図124点をオールカラーで初公開した画期的な1冊です。 出版社からのコメント 収録絵図(北から順に掲載) 一関城、人首要害、上口内要害、石母田館、長沼館、岩出山要害、白石城、亘理要害、牡鹿半島女川湾万石浦横断道路、大館城、横手城、本荘城、亀田城、松嶺城、亀崎城、鶴岡城、米沢城、米沢城、田村郡三十一ヶ村図、守山陣屋、三春城、駒ヶ嶺城、湯長谷陣屋、平城、白河城、棚倉城、笠間城、下館城、土浦城、松尾城、久留里城、佐貫城、丸岡城、鯖江陣屋、勝山城、大野城、小浜城、飯山城、松代城、小諸城、高島城、高遠城、飯田城、郡上八幡城、苗木城、岩村城、加納城、高須城、今尾陣屋、沼津城、掛川城、横須賀城、浜松城、刈谷城、田原城、拳母城、西尾城、岡崎城、犬山城、桑名城、長島城、四日市陣屋、神戸城、上野城、田丸城、鳥羽城、恵利原陣屋、水口城、亀岡城、亀岡県庁図、福知山城、綾部陣屋、山家陣屋、園部城、舞鶴砲台、舞鶴城、宮津城、高槻城、篠山城、柏原陣屋、出石城、松尾砲台、田辺城、郡山城、久留米城、高良山古戦場、中津城、森陣屋、角牟礼城、府内城、岡城、佐伯城ほか124点を収録








 〔源姓八代氏〕

A:八代 光家※―光久―光貫―光営―光郎― 光羅―光敏―武兵衛武賓☆
※故有テ中村氏ヲ称 シテ天英公二仕フ
 〜慶長七年天英公羽州遷封二層従ス〜角館二到 り翌年横手二移 り住ス
☆ (文化)1^二 年本氏八代二復氏

A1:八代 光定※―光道―光智―光重―光旦―光芳―光命―新三郎武任―
※御国替之御山県信濃支配御足軽ニテ罷下
 (武兵衛分流)

A2:八代 光定※―光治―光行―光秀―光親―光利―武侶☆
☆文化十二年〜八代氏二改氏
 (中 村久右工門光定第二子)



 〔源姓八代氏〕

B:八代 長治―長重―重次一角介重治―角助長暢

B1:八代 某 (隼人)一 忠光―忠易―喜右衛門忠重―道経―庄吉道忠― 
※八代角介重治先祖分流

B2:八代 忠親―光武―光成―光房―宗兵衛光政
 (庄吉分流)

注:天英公とは佐竹義宣のこと。(法名・浄光院殿傑堂天英大居士から、尊称として浄光院様とも。)




秋田藩士武田氏




武田 信親 - 安親 - 守親

画工として勤仕える。

武田 信親は、行方武田氏か。

狩野武田氏との別記もあり、行方武田氏の系統ではないと再考した。



■ 関連情報
【喜連川文書】足利義氏官途状写(書札礼) 嶋崎氏・小高氏・玉造氏・手賀氏・下河辺氏・芹澤氏・津賀氏・烟田氏・武田氏・山田氏・中居氏・島並氏・鹿島氏


全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
検索 検索

過去の記事一覧

kiyomoto
kiyomoto
男性 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事