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小幡城跡関連堀切跡(前新堀遺跡・前新堀B遺跡)
茨城町大字奥谷および大字小幡に所在。
東関東自動車道水戸線が、茨城空港北インターチェンジまで繋がるに当り、高速道路開発地域に係る2箇所を発掘調査済み。
赤色で表記:前新堀(仮称)
※高速道路路線に該当する箇所(6号国道と直交する付近)を中心に、前新堀遺跡として発掘調査済み。
水色で表記:前新堀B(仮称)
※高速道路路線に該当する箇所を前新堀B遺跡として発掘調査済み。 なお、【前新堀】とは茨城町大字小幡に隣接する、同町大字奥谷小字前新堀に由来。6号国道線より北側の前新堀遺跡付近の小字。
この二つの遺跡調査をもとに考えたい点は、3点。
1点目: 前新堀は陸前浜街道(現6号国道線)と直交する。
2点目: 前新堀と前新堀Bの並列配置
3点目: 小幡城からの距離
【明治迅速測図】 小幡城と前新堀との配置:
続く。。。。。。
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城館推測 :明治迅速測図
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小美玉市小川に所在。
(小美玉市小川文化センター(アピオス)付近) 『小川町史』の中に、
「元亀二年(1571年)小多加山城守鷲沼原に軍を集結し,園部城を背後から攻めてきた。園部氏は二本松に新堀を掘り防備をととのえ,小多加勢を零橋に迎え討った。」
と記載した近世以後成立した、現地で流布した軍記物の一節を紹介している。 【明治迅速図】
【現状】
【地名】
■関連情報
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名称:三併堀跡
行方市玉造の所在。 行方台地から伸びる舌状台地の突端部に玉造城跡があり、
その舌状台地と行方台地を隔絶するために掘られたと思われる。
台地から伸びる舌状台地を利用して、城館が設営されることが多い鹿行地方ではよくみられる、
城館に付随して見られる崩御手段と言える。
舌状台地の狭小部に掘割を設定する事で、左右の谷状地と接続している。
【明治迅速図】 図左下部が玉造城跡。図右上部が三併堀跡。
【現状】 赤線部が該当箇所:
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行方市芹沢に所在。
現在、ナイルス部品玉造工場敷地になっており、
ほぼ壊滅状態か。北面部分は林化しているようにも見受けられる。
特筆すべきは、
1.芹沢城から直線で約2km圏内の地域に所在する事。
2、約100m四方と比較的規模が大きい。
ことから、芹沢氏と近い関係にあった可能性があると考えている。
館跡の道向かいには神社があるなど、城館跡とあわせて町場形成も考慮可能か。
明治迅速測図より
現在の状況:(赤線内は該当推測地)
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手賀城台地切り堀(仮称)
行方市手賀に所在。 手賀城が突端にある舌状台地の基部を断ち切るようになる。
行方台地にはこのような舌状台地を複数あるため、
舌状台地を利用した城郭構築がなされる事になる。
玉造城近辺に所在する三併堀のように、
1.本城へ通じる通路の管理
2.本城防衛の外郭ライン
などの機能を有すると思われる。
明治迅速測図より
現在の状況:(赤線内は該当推測地) 青:手賀城
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