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【9/15-17】石岡のお祭り2018(常陸国総社宮大祭)
期間: 9月16日(土)〜9月18日(月・祝日)
年番町: 幸町
9月15日(土) 【神幸祭】 常陸國總社宮の御分霊(分身)が大神輿で年番町の仮殿へ渡御
午後二時、大神輿が御仮屋へむけて常陸國總社宮を出発。
氏子会町以下、全町の幌獅子まで合わせて供奉行列
9月16日(日) 【奉祝祭】 常陸國總社宮境内: 午前中:奉納相撲、午後:神楽殿にて奉納舞
市街地: 午後3時〜 駅前通で幌獅子パレード
午後6時45分〜 駅前通で山車パレード
年番町御仮屋: 午後8時半〜 仮殿祭。神事、巫女舞、紅白餅まき
9月17日(月) 【還幸祭】 年番町御仮殿: 午後2時、大神輿が出御し、供奉行列で常陸國總社宮に還御 午後4時、神輿の常陸國總社宮帰着、神事、年番町の引き継ぎ
市街地の観光案内所・観光物産/喫茶コーナー
平成30年 石岡のおまつり(常陸國總社宮例大祭)の交通規制図
平成30年 石岡のおまつり(常陸國總社宮例大祭)の案内
総社神社
〒315-0016 石岡市総社2丁目8−1
TEL: 0299-22-2233 お問い合わせ先
315-0195 茨城県石岡市柿岡5680-1
石岡市役所八郷総合支所(観光課内)
TEL: 0299-43-1111 |
お祭り・郷土芸能
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2018年8月15日開催。
石岡市真家地区に伝わる念仏踊り。
盆踊りの一種と勘違いされる事が多いが、
念仏踊は民俗舞踊としての踊念仏とは区別されているが、
全国各地に所在する風流念仏踊の一種。現在でも引き継がれているのは県内では珍しい。
ネット上では、諸所異なる説明がされているが、現段階では1994年の筑波大学による調査内容が丁寧かつ合理的な内容と思われるので、それに準じる。
平安時代から伝承というが、その実は(真言宗)
真言宗福寿院に伝わる念仏踊り。
聞き取り調査では、本来、真家宿を中心とした3寺院の旦那衆の家々を、三日間かけて回り、朝から晩まで踊ったとの事。
現在は、朝、明圓寺での踊りを皮切りに、公民館、全龍寺、福寿院で踊り収める。
その間、新盆を迎える家で、希望があった家でのみ、踊るように変化している。
朝8時に明圓寺で最初に踊る
新盆の家をまわりつつ、園部地区の全龍寺を伺い、
最期に、福寿院にたどり着く。
みたまおどりは行列を作って入場します。これを「くりこみ」と呼びます。
先導が提灯を持ち、続いて「まとい」、「みどし」、「虎の皮」、「とうしん」、「軍配」、「さいまら」、竹製楽器の「びんざさら」、「しゃぐま」、「踊り子」、そして、はやし方として、「太鼓」、「笛」、「歌い手」(年寄り)の順に入場します。踊り子は扇子を持った「七月の舞」を1番目とし、2番目の「二の谷の舞」、3番目の「十六拍子の舞」と続きます。
地区の老若男女で構成する踊り子たちは、浴衣、花笠、紅たすき、手っ甲、白足袋、草履の身支度で踊り、みたまに供養を捧げます。 花笠にはオゴマ(ヒラヒラしたもの)を付けて顔を隠します。これは仏の姿を表しているとも言われています。
輪を成す踊り子の外周をさいまらと軍配が、それぞれ反対回りで踊り、交差をする度にタッチします。 みたまおどりに使用される用具類を紹介します。
2人が堤灯をもち先導します。
まとい:花笠のまといは5色の布で飾られています。
みとし:豪華な布で覆われています。
虎の皮:グレーの起毛のようになっています。
とうしん:赤いてるてる坊主のようなものが付いています。
さいまら:これを持って踊りの輪の外周を、それぞれ反対回りで踊り、交差をする度にタッチします。
びんざさら(竹製の楽器) 太鼓・笛
しゃぐま:数人の踊り手が手にしています。 真家みたま踊保存会
真言宗不動寺福寿院
〒315-0121 石岡市真家273
浄土真宗 大澤山 常陽院 明圓寺
〒315-0121 茨城県石岡市真家1055
曹洞宗 全龍寺
茨城県石岡市真家1686
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【7/28-29】柿岡のお祭り2018 (柿岡八坂神社祇園祭 石岡市柿岡)
旧八郷町内で最大の町場であった柿岡地区にある、柿岡八坂神社の祇園祭。
その祭礼は、下総〜常陸国の広範囲に広がる山車・獅子が繰り出す形式の祭礼で、旧八郷町最大のお祭りとしても有名。
柿岡八坂神社 茨城県石岡市柿岡1972
その一方で、廃仏毀釈後、柿岡八坂神社が旧村社・旧町社となり、町政および商業の執行部との協調体制により、柿岡八坂神社の祭礼執行に合わせて、旧柿岡宿内の神社出し物の参加が促された結果が、現状の柿岡八坂神社祇園祭であることがうかがわせる。それが近世なのか明治期なのかはまだ検討していない。
柿岡八幡神社(字荒宿) 館諏訪神社(字館)
柿岡八坂神社の創建伝承では、大字柿岡地区の多くの寺社がそうであるように、佐竹氏による常陸国統一後、佐竹氏重臣・長倉氏の柿岡城入城の頃と言われるが、江戸末期の『新編常陸国誌』には「寛永二年(1705)」の創建とあり、江戸期の山王信仰(祇園信仰)の流行と町人の余剰収入の増加による寺社勧進によるものと思われる。
スケジュール
一日目
午後5時の花火を合図に、館諏訪神社の獅子と、荒宿八幡神社のささらが巡行。
八坂神社神輿が、八坂神社から年番町に作った御仮屋へ渡御して終了。
二日目:
祭典式の後、館諏訪神社の獅子と、 荒宿八幡神社のささらが巡行。
昼過ぎ:
八坂神社神輿が柿岡地区各町内を渡御。
午後4時30分ごろ、
6台の山車が柿岡地区町中を練り歩 き、
最後に八坂神社前で山車六台が集結、演目を競演してクライマックスとなる。 ▼ 御神輿
▼ 館諏訪神社の「舘獅子」(石岡市指定無形民俗文化財)
▼ 荒宿八幡神社「荒宿のささら」(石岡市指定無形民俗文化財)
▼ 「柿岡からくり人形」(茨城県指定無形民俗文化財)
からくり人形用山車
・ 八幡町 ▼ 山車 6台
・ 下町
・ 仲町
・ 本町
・ 北町
・ 新宿町
・ 仲田宿町
柿岡宿の地名として、(西から)
上宿、西町、荒宿、仲宿、内宿、新宿、館、北町、下宿があるが、
山車を出す町(町内会)と必ずしも一致する訳でないようだ。
通常、荒宿=新宿へ変遷することがおおいのだが、
柿岡地区では以下のように区別されている。
、
荒宿・・・・・・荒宿内の善慶寺および八幡神社が、文禄四年の長倉氏の柿岡配置換えに伴い、
(あらじゅく) 移転してきた伝承がある事から、既存の宿から新規に立てられたと思われる。
新宿・・・・・・ 柿岡八坂神社脇で、柿岡宿を中心を通る街道から北へ脇街道が分岐する箇所が、
(しんじゅく) 内宿と新宿の境界で、内宿には柿岡八坂神社が入ることから、
内宿の住人増加により派生した町場であり、江戸中期頃かと思われる。
祭礼期間中は、県道7号線を中心に交通規制
問い合わせ先
石岡市観光協会
電話: 0299-43-1111 |
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【7/28-7/29】高浜神社青屋祭2018 (石岡市高浜 高浜神社)
常陸国府の外港と想定されている高浜。
霞ヶ浦の最北部に位置し、国府のそばを流れる恋瀬川が霞ヶ浦に流れ込む入り江に位置することから、
古代から近代まで水運業でも栄えた地域。
そして、中世末期まで続いた常陸府中と鹿嶋神宮を頂点とした祭礼体制の一端を成した神社でもある。
鹿嶋神宮を頂点とした祭礼体制は、佐竹氏による、常陸大掾氏および祭礼にかかわる常陸平氏一族の族滅により、終止符を打つ。
その名残が、鹿島神宮、石岡市総社の青屋神社と、そして高浜神社に共通する(した)祭事にもある。
それが『青屋祭(神事)』である。
残念なことに、鹿島神宮での『青屋(神事)』は江戸時代末までには廃れ、その内容も伝聞でのみ残った。
『青屋神事』の解釈も、青屋神社の『青屋さま』、高浜神社『青屋祭』と多少異なるが、
霞ヶ浦の水辺に生えるススキ、マコモ、ヨシなどの『青い草』で仮屋を作り、神事を行い、『青い草』の茎を橋代わりにして供物を食するなどの共通点を残す。
色川三中編「常陸遺文」の「鹿島大宮祭、高浜本宮青屋祭、府中総社宮青屋祭、大荒磯崎青屋行事」にあるように、6月21日各地で行われる事からも、国司の任地着任後の国内祭神巡礼に際しての神事であったのだろう。
実際には、平安末期、全国的に遙任国司が進み目代派遣・国衙在庁官人による国衙領浸食などで、全国各地で、国司の任地着任後の国内祭神巡礼の儀式は姿を消していくが、
源頼朝による、平資幹(馬場小次郎)の常陸大掾職の継承と、いわゆる常陸平氏7流による鹿島神宮7月大祭・大使役の巡役、という形で、鹿島神宮に結び付いたことにより、佐竹氏による常陸平氏一族の族滅まで続くことになる。
実際には、鹿島神宮社領と神事に結び付いた領地、それらに付随する収入という実益があったからこその結びつきであったが。
祭礼執行場所
高浜神社
茨城県石岡市高浜865
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旧三村の村社であった三村須賀神社祇園祭。三村地域最大のお祭り。
常陸府中を中心に勢力を保った常陸大掾氏の支城、三村城があった台地に所在する。
1954年(昭和29年)、新治郡三村が石岡市に合併されるまで、石岡市および旧高浜町とは恋瀬川および霞ヶ浦入り江を挟んで大概に位置する関係もあり、三村は幾分異なる文化要素を保持している。
例えば、三村須賀神社にしても、須賀神社系列の神社は、三村が接するかすみがうら市などに多いが
恋瀬川以北にはあまり見受けられない事も一つの事例になる。
三村須賀神社と三村城跡
祭事スケジュール
7月21日(土) 午後1時から午後9時 ※午後1時、須賀神社にて神事執行
7月22日(日) 午後1時から午後9時
※22日(日)午後9時前後がクライマックス!須賀神社石段での神輿が幾度となく戻される。 山車・獅子・出し物など
現在は、神輿、古道集落の屋台、水内集落の獅子、羽成子の獅子が出るようだ。
江戸時代の記録などでは各集落ごとに出し物があり、多彩だったことが分かっている。
集落名 演目
吹上 ささら
諸士久保 みろく
古道 ひょっとこ屋台
後久保 獅子
城構内 獅子
長見寿 獅子
水内 獅子
正月平 獅子
坂井戸 大神楽
御前山 大神楽
今泉 ちんちこちん 現在では神輿が主になり、三村地区を二日にかけて回り、
最終日の夜に、三村須賀神社境内に戻るスケジュールとなっている。 三村須賀神社入口の石段
三村須賀神社祇園祭の最大の見どころと言われるのが、
三村須賀神社入口での、神輿の押し戻しである。
若い衆が担ぐ神輿が三村地域を巡回し終えた夜、神社境内に戻るべく神社石段を登り始めると、
石段上部で待ち構えた年長組に押し戻されるスチームを幾度も繰り返す。
最期は、若い衆が年長組に神輿をともに担ぐよう請い願い、ともに神輿を境内に担ぎ込むストーリー。
村内の若者への通過儀礼とも思える儀式的な終演で、祭事を通して、日ごろの村への一体感、村行事への参加意識、そして、村の一員である自覚を再確認する場でもあった。
祭礼の神事的部分とは違う、祭事を担う者たちの現実的な事情をあらわに見ることができる稀な祭礼ともいえる。
個人的なことを言うと、
神輿を担いで石段を登るのはキツイし、推し換えられたら頭にくる。
年取ったら、石段で神輿を押し返すのもキツイと思う。
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