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名称: 野曽代官屋敷跡
所在: 茨城町野曽字東郷
「茨城町史 地誌編」によると、消滅した小字に「堀ノ内」があったが、
現在ではすでに使用される名称ではなく、その場所は不明とのこと。
一方で、通称「代官屋敷」と呼ばれ、土塁などを残す遺構がある。
茨城町指定史跡:宝塚古墳がある、涸沼川沿岸の突端部である。
野曽代官屋敷跡(茨城町野曽字東郷)2017
「代官屋敷」の名称から、中近世期の遺構を想像させる。
野曽代官屋敷跡(茨城町野曽字東郷)
撮影:194712
なお、小字および現地情報は「茨城町史 地誌編」(平成 5 年 3 月、茨城町史編さん委員会)に依った。
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城館推測:茨城町の堀ノ内・城ノ内
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名称: 越安堀ノ内跡
所在: 茨城町越安字西山(堀ノ内)
なお、小字および現地情報は「茨城町史 地誌編」(平成 5 年 3 月、茨城町史編さん委員会)に依った。
現在、当該地に茨城町運動公園が造成されたため、原風景や遺構などは一切消滅している。
〒311-3106 茨城県東茨城郡茨城町越安1397
呼称地:堀之内があった小字西山地区の谷津向い、上越安集落の形成譚がある。
上越安集落とは谷津田を挟んで向かい合っているが、
集落の発生譚として、涸沼川沿いの集落(下越安集落)が川の氾濫の影響を受けた際、
高地に逃れた数軒が基となって、上越安集落になったとのこと(茨城町史 地誌編)。
地域の中心として、呼称地:堀之内が継続して発展した伝承はなさそうだ。
越安堀ノ内跡(茨城町越安字堀ノ内)
1947年撮影
現在の小字「西山」は、上越安集落から見ての呼称なのは明らか。
上越安集落西端から字西山地区を望む:
上越安集落(左側)から、谷津田を挟んで、字西山地区を見る。
字西山地区の赤丸個所は、小高居場所で、運動公園建築まで、熊野神社があった。
現在は、越安地区内の素鷲神社に合祀されている。
なお、小字および現地情報は「茨城町史 地誌編」(平成 5 年 3 月、茨城町史編さん委員会)に依った。
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長岡堀の内跡
茨城町長岡字堀の内
赤線枠・・・・・・小字堀の内
隣接する谷津は、現在、陸上自衛隊長岡射爆場となっているが、
小字は「下作」で、「堀の内」との関係性も考慮したい。
長岡堀の内跡(茨城町長岡字堀の内)2017
長岡堀の内跡(茨城町長岡字堀の内)
撮影;1946
1936年に廃止となった、水戸電気鉄道の路線跡も、
1946年段階では鮮明に残っている。
旧長岡村と旧植農村の境推定(茨城町長岡)
撮影:194606C
長岡堀の内跡_南面 (茨城町長岡字堀の内)2017
長岡堀の内跡_西面(茨城町長岡字堀の内)2017
なお、小字および現地情報は「茨城町史 地誌編」(平成 5 年 3 月、茨城町史編さん委員会)に依った。
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名称: 上雨ヶ谷長者屋敷跡
所在: 茨城県東茨城郡茨城町上雨ヶ谷字長者屋敷
196110
上雨ヶ谷長者屋敷跡(茨城県東茨城郡茨城町上雨ヶ谷字長者屋敷)
撮影:1961年10月
なお、小字および現地情報は「茨城町史 地誌編」(平成 5 年 3 月、茨城町史編さん委員会)に依った。
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