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名称: 奥谷堀ノ内跡
所在: 茨城県東茨城郡茨城町奥谷小字堀ノ内
1986/10/17(昭61)、国道六号バイパスの建設に伴う発掘調査が行われた直後の航空写真。
写真中央を国道六号バイパス建設予定地が貫く。
赤枠…小字堀の内
二条の堀跡がくっきりと見え、完掘りした状態と思われ事から、発掘調査はほぼ終了ないし完了した頃であろうか。
奥谷遺跡は、字童子塚に所在し、その西南に字堀の内が位置する。
奥谷堀ノ内跡および奥谷遺跡(茨城県東茨城郡茨城町奥谷小字堀ノ内)を望む。
小字堀ノ内の近く、国道六号奥谷バイパス側道から見た奥谷遺跡。
写真中央が奥谷遺跡の発掘個所に当たる。
奥谷遺跡の発掘個所は国道六号奥谷バイパスの下となったが、
未発掘の館跡東部分は、バイパス右側に残る。
小字堀ノ内から一段低い低地に、奥谷遺跡があったことが写真からもわかる。
水府史料附録『小堤光明寺棟札写』には、旦那として「奥谷鳥膚大隅守増貞」の名があり、
大字鳥羽田を拠点とした鳥羽田氏の一族が進出していたと考えている。
なお、小字および現地情報は「茨城町史 地誌編」(平成 5 年 3 月、茨城町史編さん委員会)に依った。
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城館推測:茨城町の堀ノ内・城ノ内
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所在: 茨城県東茨城郡茨城町木部小字堀ノ内
大字木部地区の中で、木部西部に位置する。
現在、隣接する飯沼地区に近い木部東部の方が人家や商店が多いが、
木部地区の公民館的センター施設は木部西部に所在する。
赤枠・・・・・小字堀ノ内
南面西角から見た、木部堀ノ内跡(茨城県東茨城郡茨城町木部小字堀ノ内)
北面右部から見た木部堀ノ内跡(茨城県東茨城郡茨城町木部小字堀ノ内)
小字堀ノ内の右側には小川(水路)で区分されている。
北面から見た木部堀ノ内跡(茨城県東茨城郡茨城町木部小字堀ノ内)
小字堀ノ内の北面堺は、生活道路で区切られている。
西面から見た木部堀ノ内跡(茨城県東茨城郡茨城町木部小字堀ノ内)
小字堀ノ内の西面は、生活道路で区切らている。
木部堀ノ内跡と木部東部地区、および飯沼地区の位置関係
木部西部と木部東部の間には湿地帯が入り、早くから区分されていた様子。
木部東部には密蔵院寶積寺があり、
近世期の記録に、「密蔵院古屋敷」との小字の存在が記されていることから、
木部東部にも早くから開発されていたと推測できる。
現在の木部東部地区が大きくなった要因として、
飯沼地区、上飯沼地区の中心地区と近いことからの人・物の移動が容易だったことも考慮できる。
ただし、木部西部と木部東部を比較して、どちらが早くから開発され、どちらが中心的地域であったかを判断するのは早計と判断した。
なお、小字および現地情報は「茨城町史 地誌編」(平成 5 年 3 月、茨城町史編さん委員会)に依った。
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上飯沼館ノ内跡(飯沼城跡)
茨城県東茨城郡茨城町上飯沼字館ノ内
赤枠・・・・・・・上飯沼字館ノ内
青枠・・・・・・・下飯沼字見正作
黄緑枠・・・・・上飯沼字館ノ下・下飯沼字館ノ下
黄色枠・・・・・上飯沼字竹ノ下
飯沼城跡(上飯沼館ノ内跡)(茨城県東茨城郡茨城町上飯沼字館ノ内)
撮影:1961/10
川根小学校が新築移転する前の1961/10撮影。
なお、小字および現地情報は「茨城町史 地誌編」(平成 5 年 3 月、茨城町史編さん委員会)に依った。
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仮称:下土師堀ノ内跡
所在:茨城県東茨城郡茨城町下土師小字堀ノ内
赤枠線・・・・・小字堀ノ内
現在の下土師地区の中心は、西光寺がある小字「中塚」周辺である。
小字堀の内付近には、堀の口、竹の下のほか、宿、宿後、宿坪などの小字が取り巻き、
かつては「古宿」の地名もあったことから、中世以降からの集落形成があったのではないかと、「茨城町史地誌編」と解説する。
この場合の「新宿(今宿)」は、中塚地区にそうとうするだろうか。
下土師堀ノ内跡(茨城県東茨城郡茨城町下土師小字堀ノ内)
なお、小字および現地情報は「茨城町史 地誌編」(平成 5 年 3 月、茨城町史編さん委員会)に依った。
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