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ブログを通して、超未熟児⇒嚥下障害のお母様からご連絡をいただきました。 仮にお母様のお名前をAさんとします。 Aさんには上に息子さん、そして超未熟児の長女さんがいらっしゃって、その体験談を ご本人の許可を得て掲載することにしました。 Aさんはご自分でブログやHPでこの体験を詳細にまとめる予定だそうですが、 実現するまでに他の悩める方の参考になれば、と言ってくださいました。 また、関わった医療関係者を非難したいわけではないということをきちんと伝えて欲しいとのことで、 先にお断りの上、ご紹介させていただきます。 長くなりますので、記事を分割します。 まずはAさんから頂いたこれまでの概略をご紹介です。 2004,11 K総合病院にて25週704gで長女誕生 2005,2月 おっぱいを飲む練習開始・いっこうに吸い付かず寝てばかり。 直母は心身共にきつくなり、母乳は全くでなくなる。 担当医が直母にこだわりのある人で出てるなら飲ませろ の一点張り。 2005,3月 ようやく要望が通ってほ乳瓶での練習開始(ピジョン)。 吸い付くまでに30分、微量を飲むのに30分 残りは注入。 2005,4月 必要とされていた量をなんとか飲めるようになる(1時間以上はかかった)。 担当医に、このまま入院が長引くとと母子関係に問題が出ると言われる。 飲み以外は全く問題がないため、NICU退院。 2005,5月 長時間かけての授乳は相変わらず。 先月よりあった、飲後の嘔吐が頻回になる。 空腹を訴えて泣くということは皆無、お腹がすけば寝てばかり。 夜間は8時から朝までぐっすり、夜中に授乳しても吸い付かず。 体重は順調ではないが、増加傾向。 修正月齢で見ると、成長曲線の下方に近づく。 ☆ほ乳瓶は全種類試行錯誤・ミルクも味をいろいろ変える。 ○医師には、口から飲めているのだからこのまま頑張るように、 どこも悪くはない、ミルクの量が足りない、との話ばかり 2005,6月 全く吸い付かなくなり、ほ乳瓶を口に入れただけで嘔吐 (ナウゼリンを処方)。 仕方なく、スポイトで口に流し込み、無理矢理飲み込ませる(溺れているような感じだった)。 長女はミルクの度に泣きわめく。 ○医師より、カロリーアップのために滋養糖を入れること スポイトでも飲み込んでいるのだから続けていくべき、母子関係が不安なら経管栄養を考えていく 2005,7月 肺炎になり入院(誕生したK総合病院・小児科)。 小児科の担当医になったY医師が、スポイトで飲ませることが 母子共にストレスの大きいことであると判断し経管栄養となる。 △余談ですが、この病院ではNICUの新生児科のH医師と小児科医間で 全く連携がとれていないばかりか仲が悪く、治療方針や症状に対する考えの相違も多々あった。 肺炎の改善と共に上部消化管造影と逆流、染色体の検査実施。 消化管には問題が無く、逆流は4%で逆流症と診断するには微妙なライン。 飲み込み方や染色体にも全く問題なし。 2005,8月〜9月 退院してからは経管栄養で過ごす。 どんなに微量の注入であっても嘔吐がひどく、注入と嘔吐を繰り返す。 気休めながらナウゼリンやプリンペランを処方。 ミルクを薄めてみたり、反対に濃くして量を減らしてみたり、 注入のスピードを速めたり遅くしたり、試行錯誤。 嘔吐はいっこうに減らず 2005,10月 Y医師より、ラコールを処方、嘔吐に変化なし。 カロリーは満たされてきて、体重も増加傾向。 Y医師より、燕下訓練をしてみてはどうかとの話あり。 新生児科H医師は、どこも悪くないのに訓練は無駄と言う。 無駄なことをする心の余裕は全くなかった。 2005,12月 嘔吐と注入の繰り返しに疲れ果て、注入をやめる。 シリンジで少しずつ飲ませてみると、自分で飲めた。量を少しでも増やすと嘔吐。 空腹になれば、わずかではあるが飲もうとする。 スプーンなどで食べる練習も始めてみたが、口にものが入っただけで嘔吐反射がでる。 大丈夫だったのは口ですっとなくなるようなゼリーのみ。 ○小児科医より、体重や動きから、600kcalは欲しいとの指示。 飲めたのは1日300kcal、肺炎になり経管に戻す指示を受ける。 2006,1月〜3月 嘔吐を減らしたいと考え、椅子に座らせて24時間微量ずつ注入開始。 少し体を動かしただけで嘔吐することが多々あり体を動かせず オムツ替えのタイミングがつかめず、お尻がひどく荒れ、お尻が痛くて泣き叫んでいた。 注入中に立ち上がることもしばしばで、椅子に縛り付けていた。 可愛そうだと思ったが、こうするしかなかった。 栄養を減らせば、すぐに風邪をひいてゼロゼロし、ぐったりしてしまう。 2006,4月 K総合病院小児科主治医のY医師がR園にいくとのこと。 紹介状を書いてもらい、燕下訓練を受ける事に決定。 同じ日、新生児科H医師からは「僕のできることはお母さんの愚痴を聞くだけ」 半ば匙を投げたような発言 2006,4月下旬 R園、初診 整形外科医Mが主治医となる。 主治医Mより 状態がかなりこじれている。 少しずつ整理していって、今後の方針を考えたい。 まずはSTの指導を受けつつ、状態の改善を図っていく。 ☆R園について 主として重度心身障害児のための施設であり、 脳性麻痺などのお子さんが入院したりリハビリに通ったりしている。 この病院で診てもらえるとは考えていなかった。 2006,5月 STの指導の元、長女の生活を変えていく。 24時間注入をやめる・空腹満腹のリズムをつくり、遊びの時間を増やす。 栄養はラコール→エンシュアハイに変更。 1日3回の注入・1回の注入時間は1時間程度 1回量は150ml。 嘔吐に変化はなく、改善の見込み無し。 長女には燕下障碍や麻痺はないため、STからの指導は主に母親の取り組みの相談のみ。 2006,5月下旬 嘔吐ばかりで胃液まで吐く(どんな水分も吐いた)。 丸一日何も与えずに様子を見る。 次の日、母親がシリンジを片づけていると飲みたいと大騒ぎし、 この日からシリンジで飲ませることとする。 2006,6月〜7月 M医師、Y医師、STなどでの話し合いにより、シリンジで飲み始めたことが素晴らしいとのこと、 今後もそれで栄養摂取させて様子を見るとのこと。 消化の遅さが気になったので、ガスモチン処方。 1日に飲める量は少なく、ごろごろしたりぐったりしている。 無理に飲ませる量を増やしたところ、本人も頑張って飲むと体が楽と気づいた様子で 自分の頭をなでながら頑張って飲むようになった。 それでも嘔吐に変わりはなく、嘔吐させないようにおもちゃなどで気を紛らわせていたが 一番効果的だったのは、胸を叩いて泣かせることだった。 泣くのと吐くのは同時にできなかったからしばらく泣いて、全てが終わってしまえば吐かなかった。 私は栄養を与える時間が近づくと動悸と手の震えに悩まされた。 こんな虐待のようなことは、うんざりだった。 2006,8月 お互いに頑張り必要カロリーを摂取できるようになったが、それでも頻回の嘔吐はなくならなかった。 私の母から、栄養の与え方について、長女をいじめている、と非難される。 第3子の妊娠に気づくが、この妊娠さえも、実母には長女をないがしろにするためだと責められる。 2006,9月半ば 検査のためK総合病院に入院。 消化管造影、逆流検査を実施。 逆流は0,2%、全くないわけではないがこれで手術する外科医はいないだろうと言われる。 むしろ、バリウムを飲む際に、嘔吐反射が出ていたことが気がかり。 小児外科医はこれには知識がないとのこと K総合病院は、検査が終わったとたん問題がないということで退院させられた。 退院後、同じく摂食障碍のお子さんをもつ方から入院させるように薦められる。 下旬、STに入院したい旨相談する。 すぐにケースワーカーや主治医と相談。 長女には病気や障碍があると言えないため、児童相談所に介入してもらうこととなる。 退院後の長女は、自宅に戻ってきた瞬間に表情が暗くなる。 栄養を無理矢理とらせる私たちしか側にいないという状況に大きなストレスを抱えているようで、 またひどく嘔吐するようになる(入院中は、看護婦達に随分かわいがられた)。 入院させる、とは決めたものの、入院してどうするかなんのアイディアもなかった。 そんな時、T歯科という、摂食に力を入れているところを紹介していただき、相談する。 入院までの間、栄養の与え方について指導をいただく。 エンシュアハイをシリンジで1日600mLはカロリーは満たされていても、今後の摂食に結びつかない。 飢餓訓練がいいのでは…? なお、エンシュアハイ600飲ませるなら、イオン飲料も同じくらい必要だとのこと、気が遠くなる。 2006.10月 児童相談所と数回話し合い、長女の様子を伝える。 見た目なんともないため、理解してもらえない。 栄養の与え方を実際にみてもらい訓練の必要性を理解してもらう。 修正1歳半で、保健センターより保健婦来訪。 同じく栄養を与えるところを見てもらい、入院の必要性を理解してもらいR園にも一言話してもらう。 下旬、入院。 2006,11月 何度もあちこちに相談して、やはり飢餓訓練を要望。 R園のSTは、訓練の経験がないこと、他の医師への具体的な説得材料がないこと、 不安要素が大きいことなどを理由に、今はまだ様子を見たいとの返事。 焦ることではないので、要望だけ伝えておくにとどめる。 入院中も、家庭と同じようにシリンジでエンシュアハイを摂取。 家庭とは異なり、大勢の看護婦が代わる代わる与えるのでストレスが分散されている様子だった。 親とは違い、飲まなくてはならない、というプレッシャーがなくだいぶ嘔吐がへった様子。 2006,12月 主治医Mが、摂食では日本1ではないかと言われている医師に連絡をとり、相談してくれる。 様子など見ず、すぐにでも訓練をした方がいいと助言を受け飢餓訓練開始。 身長や体重、動きなどから、ギリギリの栄養量を与える。 訓練開始3日後、ノロウイルス感染。小児科Y医師には、抵抗力が新生児並みと言われる。 12月下旬まで、点滴で過ごすが、フラフラになり立てなくなる。 2007,1月 1月半ば、同じく入院中の男児の食べ物をねだりいきなり食べ始める。 ペースト食が主だが、固形でもOK。 2007,2月 偏食気味ではあるが、だいぶ食べられるものが増えた。 卵アレルギーであることが判明。 食前にインタール服用。 2007,3月 一時帰宅開始・自宅でも普通に食事ができる。 2007,4月 一時帰宅。焼きうどんを自分でもぐもぐ食べて、 上の子と何度も乾杯しながら牛乳を飲んでいた。 この内容を読んでいて胸が詰まり、長女さん、そしてご両親も どれほどお辛かっただろうかと思うと涙がこぼれました。 リカも私も苦労していると思っていましたが、Aさん親子のご苦労は比ではありません。 (1)の記事はここまでです。
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