無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全24ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

久しぶりに

最後に書き込んだのはいつだったか、随分以前のことになるなあ。
 
久しぶりに自分のブログを見て驚いたよ。何と下らんコメントが沢山・・・どうしてそんなコメントが入るのかなあ。
 
休憩している間に、いろんなことがあったんだが、まあそれはいいか。
 
個人的なことだからな。
 
ところで、久しぶりに云いたいんだが、この民主党政権、何なんだ一体?幼稚園でもこんなにつまらなはないがな。
 
党としての一体性というか、まとまりというか、筋というか、何がどうなっているのか全く理解し難いものがある、
 
色々云いたい事があるが、先ず外交。
 
あの尖閣諸島における対中国外交だ。あの菅という男は馬鹿か!
 
どうして中国人船長を慌てて釈放するのかわからんし、証拠物件の船も即効返還。
 
対中国服従外交。たまらんな。日本人としての誇り・プライドというものがないのか。
 
一刻も早く島に自衛隊を駐屯させることだ。
 
何を躊躇しているのか理解できない。また同じ事が勃発した場合の対応すら決まっていないんだからどうすんだよ。たまらんなあ。
 
次に、北方領土問題。
 
これまたロシアにすき放題やられっ放し。完全に民主党政権は交渉相手ではないと見切られている。
 
日本国民としてストレスが溜まりっぱなしだ。
 
最後に、小沢問題。
 
これまた何を愚図愚図しているのか。
 
さっさと放り出せばいいものを、小田原評定を繰り返している。
 
あんなダーティな男が何を言っても信用できない。
 
どこの世界に政党助成金で不動産を買う奴がいる?
 
それを自分名義にするとは、あきれてものが言えない。
 
普通なら、せめてダミーでもたてて自分名義にはしないもんだ。
 
国民の税金で私腹を肥やすなよ。
 
そう思われても仕方ないだろう。
 
国民はもう飽き飽きしてんだよ。政治と金の問題には!
 
もっと云いたい事があるが、久しぶりなんでこのくらいにしておくかなあ。
 
 
 

開く トラックバック(1)

 退職してから丸2年以上が経つ。

 その間、何もしていない(ような気がする)。

 勿論人間として生きている以上、何にもしていない、ということはない。

 腹が減れば飯も食うし、散歩もするし、猫の世話はするし、毎朝欠かさず30年以上も般若心経は唱えるし、退職の翌日から家の拭き掃除はするし、本は読むし、たまに図書館にも行くし、月に3回は友達と会って食事するし、好きな京都へは年に10回は行くし、京都検定1級の受検勉強はするし、ほぼ毎日インターネットでどこの誰とも分らない相手と囲碁はするし、無料のいいセミナーがあれば参加するし・・
色々する。

 しかし、何もしていないような気がする。

 つらつら考えるに、そこには積極的な社会との繋がりはない。

 そうかそこに充たされない何かがある。

 ということはない。

 退職前の職場を思い出すなんてこともない。

 もう何十年も働いてきたから、収入のために働くという気は全くなかったので再就職も断った。

 というわけで、必然的に経済的には退職前のように豊かではない。

 しかし、それが不満というわけでもない。

 働かない以上そんなもんだと思っているから。

 要するに、人生の第二ステージは終ったのだ。

 幕の降りた舞台に哀愁を感じたり、未練を引きずっても仕方あるまい。

 現在は既に、第三ステージに立っている。

 そのための準備が仕上がっていない。

 そのことが何もしていない、という空虚感に繋がっている。というのが一番親近感を感じるようだ。

 「ボランティアでもすればいいじゃあないか」と云う声もある。

 しかし、どうも自分にはできそうもないなあ、と思っている。

 できないことは最初からやらないことにしている。

 いくらボランティアと云っても、自分のやりたい時にやりたいことを、というわけにもいくまい。

 暫くやれば、当然相手は期待するだろうし、そしてそれは当然といえば当然。

 その期待されるところが、やりがいというか生甲斐になる、という人は多い。

 まあそれが重くなってきて、次第に義務化してくる。

 それじゃあ仕事と同じじゃあないか、と感じ、仕事と同じなら無報酬はおかしいなんて、こと志とは随分違った方向にいってしまいかねない。

 大低が、ボランティアというのは他人のためにやるもんじゃあなく、自分のためにやるものなのだ。

 だから無報酬ということになる。

 その自分のためというのが、その内自分のためか他人のためかという懐疑心に襲われて揺らいでくるともうできないな。

 まあそういうこともあり、自分のためということに自信がないので、最初からやらないことに決めている。

 という面も大部分あるが、元々他人のために積極的に何かしよう、貢献しようという殊勝な気持ちに乏しいのではないかと思っている。

 一時期、自分には他人に対する優しさがかけているのではないかと真剣に思ったこともある。

 働いていた頃、部下の女性と話していた時、何かの折に「自分には優しく、他人には厳しい」と言った時に、彼女が小さな声で「そうでもないですよ」と言ってくれたときはなんとなく安堵し、うれしかった事があった。

 なるほどそれが彼女のやさしさかと感じたものだったが・・・。

 とまあいうことで、結局何もしていないとの思いを心のどこかに沈めながら生活しているのだが、
なるほど、以前そう思っていた通り、生活と人生は違うということを、退職してから実感として感じている今日この頃なのだ。

 またその気になれば更新しよう。


 

 

開く トラックバック(1)

さてと、久しぶりに書き込むか・・・。

 年も明けて2月に入っている。

 どうもあまりブログの更新も気が乗らない。

 まあ考えてみれば、そうそう書く事があるほど変化に富んだ人生を送っているわけでもなし。

 ある意味無理して書いているところもあろうな。

 ううんーと、そう云えば、先月の29日に、去年の暮れに受験した「京都観光文化検定試験1級」
の結果が来ていた。

 「合格まであと11点です」って書いてあった。

 あと11点か・・・去年は30点足らなかったから一応努力の跡は感じられるというものだが、それにしても、難しいなあ。

 しかし合格している者もいるわけだからーと思いつつ、一体どんな勉強の仕方かなと興味もある。

 今年で3回目のチャレンジとなる。

 何しろ「京都検定」が始まった第1回から受験している。

 もう毎年暮れの恒例行事になっている。

 また1年頑張るか!

 

 

今日は24日か・・・イブだな。

 どうしてこう、イブだ、イブだと騒がしいのか?

 不思議でならない。

 クリスチャンでもない日本人が騒ぎまくっている。

 勿論宗教的理由からではないのは明らかだ。

 商業ベースであることは分りきっているが、どうかと思うのだ。

 別にいいじゃあないか。子供も喜んでいるし、目くじらをたてるほどのことも・・・。

 なんてすぐにいうんだろうなあ。

 しかし、クリスマスが日本人の国民的行事というわけでもあるまいし、これもアメリカナイズの果てか。

 外国人からみれば、本当はおかしいんだろうなあと思う。

 日本人に占めるクリスチャンの割合は5%もないだろうに、最早日本の文化にまで浸透しかけている。

 日本人の精神構造からすれば、キリスト教の論理がそぐわないことは当然だし、聖書に書かれていることが真実だ、などと信じているむきはいまいと思うが、クリスマスというイベントで盛り上がろうというだけなんだということなのかな。

 それではせめて、「メリークリスマス」というのだけはやめて貰いたいもんだ。

 「クリスマス、おめでとう」・・・これはいただけない。

 どうして日本人にとってクリスマスがめでたいのか?

 簡単にいう神経が理解できない。

 何も知らない子供に「どうしてクリスマスはめでたいの?」って聞かれたら、クリスチャンでもない人はどう答えるんだろうなあ。

 「キリストが生まれた日だから」っていうか。

 「じゃあキリストはどこの国の人?」って聞かれたら・・・。

 「なんで日本人が祝うの?」って聞かれたら、「そう固い事云わないで」ってまさか答えないよね。

 韓国も相当クリスマスを祝う傾向があるが、国内に結構クリスチャンがいるんだ。

 正式に洗礼を受けたクリスチャンの数は日本より随分多い。

 信者がおごそかにいう分には当然のこと、しかし、信者でもない者が浮かれたように「メリークリスマス」「メリークリスマス」というのは相当おかしいよな。

 と毎年、この時期になると、早くお正月がこないかなあと思うのだが、こういうことって相当深いものが横たわっているんだと思うね。

 なんかとんでもない世の中になってきたもんだ。

 ここのところ、新聞・テレビは連日非正規職員の解雇問題で持ちきりだ。

 正規職員にまで及んできているところもあるようだが、まだ少数、メインはやっぱり非正規職員、とりわけ派遣社員である。

 調整弁・・・景気の状況に応じて雇用を調整するわけだ。

 人間をモノと同じ感覚で使用している。

 使い捨てとは正に人権問題そのものじゃあないか。

 人材派遣法。

 これほどいい加減な代物はない。

 この法律ができた当時のうたい文句はどうだ?

 当時から胡散臭いと思っていたが、状況は悪くなるばかりだな。

 企業の人材使い捨ての思惑を背後に沈めて、自分の好きな時に好きなだけ働いて、やりたいことをやるとか、日本にも本格的に人材流動化の時代がきただの、自分のスキルや特技を活かして自由度を広げるだの、そんなにうまくいくわけないじゃあないか、と思っていたもんだ。

 その当時派遣社員を使用した経験もあるが、交通費もなく、そのために自宅からあまり遠い職場にはいけないと聞いていた。

 それだけで選択の幅が狭められるじゃあないかということだ。

 その時の派遣社員の彼女は、家から自転車で通ってきていた。

 スキルは中国語の通訳ということだったが、それとて競争は激しく、常にスキルを磨く必要があり、
昼休み中でも寸暇を惜しんで勉強していたが、中国人が雇って欲しいといってきたことがあった。

 彼女の日本語はたどたどしいものだったが、その彼女に、派遣社員の中国語の実力を聞いたら、「私が日本語を喋っているようなものです」と答えた。

 中国語の通訳だから、本当の中国人の方がいいに決まっていたが、彼女の方が先約だからということで納得してもらったが、スキル、スキルといっても相当程度の高いものでないと、到底通用しないのだ。

 まして、何のスキルもなく単純作業に従事する場合は簡単に解雇されるんだろう。

 しかも雇用保険にも入っていない事も多いと聞く。

 彼らの救済策が急務となっているが、小手先だけではもう無理だろう。

全24ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事