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古代日本の律令制は7世紀の後半ぐらいだと言われます。
陰陽師は陰陽道の占・風水を行う仕事で、6世紀飛鳥時代には占・地相・天体観測・暦・時刻な理論的な分析によって予言する有職者をさしていました。
九字などの呪文・文様や呪文を書いた護符・式神の召喚・体を動かして行う禹歩などがあるが、なかでも天文道は生活と繋がっている。
農耕は季節により変わり天候に大きく左右されので天文道は重要です。
また、天文道は暦作るのにも欠かす事の出来ない学問です。 清明の師である忠行は、清明に天文道を、息子光栄には暦道を継がせた時から陰陽道は二流に分かれたとありますが、元々分かれていたと思うのです。 |
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ある日の夕方…。
その時の自分は、なんだか落ち着かない気持ちで、ならまち界隈を、速足で通り過ぎようとしていました。 いくつか雑用が重なって、ちょっとイライラ気味だった。 とにかく用事を片づける段取りばかりが頭を支配していて…、そんなさなか、 ふと、誰かの視線を感じたような気がして、足を止めてみたこの場所…。 http://img-cdn.jg.jugem.jp/581/1518172/20100608_1440746.jpg 陰陽町(いんようちょう)の鎮宅霊符(ちんたくれいふ)神社http://img-cdn.jg.jugem.jp/581/1518172/20100608_1440747.jpg 思わず、土塀の中に吸い寄せられて…、「あ・うん」の二対の狛犬さんにご挨拶。 http://img-cdn.jg.jugem.jp/581/1518172/20100608_1440748.jpg 「どんぐりまなこの狛犬さんたち…」 http://img-cdn.jg.jugem.jp/581/1518172/20100608_1440749.jpg 天真爛漫な笑顔に、思わず、お声をかけてみたくなり、ひとり神社で、「こんにちは。お久しぶりです。」と、つぶやいてみたら、焦っていた心に、スゥーっと、風が吹き抜けたような、清々しい気持ちになって、なんだか、救われました。 こちらのひょうきんな狛犬さんたちが鎮座するのは、奈良町陰陽町にある「鎮宅霊符(ちんたくれいふ)神社」。 陰陽師(おんみょうじ)の神とされている神社だそうです。 http://img-cdn.jg.jugem.jp/581/1518172/20091116_868096.jpg 陰陽師 とは、その昔、庶民の暮らしの指針となる暦(こよみ)をつくっていた者たちで、江戸時代の最盛期の頃には、この界隈に、十数件の暦師が住んでいたそうです。 http://img-cdn.jg.jugem.jp/581/1518172/20091116_868097.jpg 細いゆるやかな坂道の町並みは、しっとり落ち着いた風情。 このあたりの人たちは、「いんよう」ではなく、「いんぎょうまち」と呼ぶのだとか。 お天気の良い日は、奈良町の古い町並みのあいだから、遠くうっすら見渡せる生駒山が美しいです。 http://img-cdn.jg.jugem.jp/581/1518172/20091116_868098.jpg 参考文献「これが奈良町」奈良町資料館編集部 発行 ならまちの町名をピックアップしてみました。 ・陰陽町(いんようちょう) 陰陽師(おんみょうじ)が集まって易占いや暦作りをしていたところ 平城京の時代から、お祓いや法要の営みの指示をしていた陰陽師(おんみょうじ)は、 古代中国から伝わる陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)に基づいて、占いを行う者のこと。 ・瓦堂町(かわらどうちょう) 瓦店が軒を連ねていたところ ・椿井町(つばいちょう) かつて元興寺の行灯に使う椿油を造る職人が住んでいたところ ・草小路町(くさこうじちょう) あたり一面が草原だったところ ・築地之内町(つじのうちちょう) 元興寺の東側の築地(ついじ)塀があったところ また、奈良町は、元興寺の境内だったところに町ができたため、 元興寺にちなむ町名をもつ町が多いです。 こちら↓↓↓の町名は、元興寺の別院があったところ。 ・十輪院町(じゅうりいんちょう) ・納院町(のういんちょう) ・中院町(ちゅういんちょう) |

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猿沢池七不思議 • 澄まず
• 濁らず
• 出ず
• 入らず
• 蛙はわかず
• 藻は生えず
• 魚が七分に水三分
猿沢池の水は、決して澄むことなくまたひどく濁ることもない。水が流入する川はなくまた流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。なぜか藻も生えない。毎年多くの魚が放たれているので増える一方であるにもかかわらず、魚であふれる様子がない。水より魚の方が多くてもおかしくないような池。 この猿沢池に何と!スッポンがいるのです!
鍋の材料にすれば〜 どうぞ、臭いですよ!
まあ誰も捕獲しない理由は行けば判りますから・・・・・・・ |

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奈良にお出かけ3になります。
吉野に行こう!
前回の🍡は案の定硬い!(買い過ぎ!)
吉野と言えば=桜!この時期無い!(あたりまえ)アジサイ!あった!でも〜💦
蔵王堂の権現様は有名ですが、そこに行くまえに寄り道!
脳天大神様にお参りです。
金峯山寺の蔵王堂から西側へ急な坂を下りた川沿いにある、金峯山寺の塔頭のひとつ、頭を割られた大蛇(金剛蔵王大権現の変化身)を祀っており、「吉野の脳天さん」と親しまれています。
首から上の病気に霊験あらたかと言われており、入学試験合格、病気全癒、商売繁にご利益があるようです。
早速お参りです。 さて引き返して今度は蔵王堂に行きます。(多分?) 行く道中にありますので寄り道と言えばそうですが、コースと言えばそうなりますね(笑)
吉野神宮(よしのじんぐう)は、奈良県吉野郡吉野町に鎮座する後醍醐天皇を祭神とする神社。建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣大社である。旧社名 吉野宮。歴史
南朝の後村上天皇は、父の後醍醐天皇が延元4年(1339年)に崩御した後、その像を吉水院に安置した。以降、仏教式の供養が行われていたが、明治時代に入って神仏分離により明治6年(1873年)に吉水院を後醍醐天皇社という神社に改めた。2年後に吉水神社と改称して後醍醐天皇を祭神とする神社となった。このとき太政官政府は官費(国費)で別の神社を創建する考えを表明したが、そのまま棚上げになって時が経った。
明治22年(1889年)6月22日に、後醍醐天皇を祀る官幣中社吉野宮の創建が、明治天皇の意向で決定した。明治25年(1892年)に社殿が竣工して、吉水神社から後醍醐天皇像を移して遷座祭が斎行された。明治34年(1901年)に官幣大社に昇格し、大正7年(1918年)に吉野神宮に改称した。
境内
本殿・拝殿・神門はかつて後醍醐天皇が京都の御所へ帰還される事を熱望されていた心情を汲んで、京都の方角を向き、北向きに建てられている。総檜造。近代神社建築の代表とされる。2010年、本殿、祝詞舎及び楽舎、裏門及び透塀、神庫、拝殿、廻廊、内玉垣、神門、神符授与所、宿衛舎、東門、外玉垣、神饌所、表手水舎、裏手水舎、井戸屋形、修祓所、参集殿、制札屋形、大鳥居、表鳥居、裏鳥居の22件が国の登録有形文化財に登録された。
とまあこのような感じです。
こちらも落ち着いた感じでした。
さていよいよ蔵王堂に行きます。この辺りはまた少し雰囲気が違います。 歴史はこうなりますね。
大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を山桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています。 明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています。平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門がユネスコの世界文化遺産に登録されました。
金峯山寺にお祀りされる御本尊は、金剛蔵王大権現であります。今から1300有余年前、金峯山山上ヶ岳に役行者が一千日の修行に入り、感得された権現仏であります。権現とは権(仮り)に現われるという意味で、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されました。また金剛蔵王とは、金剛界と胎蔵界を統べるという意味も表しています。
金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置しています。
重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。堂々とした威容の中に、優雅さがあり、たいへん勝れた建築という高い評価を得ています。
金峯山寺内では古くから、白鳳年間に、役行者(えんのぎょうじゃ)が創建されたと伝えており、また、奈良時代に、行基菩薩が改修されたとも、伝えています。その後、平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、現在の建物は天正20年(1592)頃に完成したものです。大正5年から13年にかけて、解体修理が行なわれ、昭和55年から59年にかけて、屋根の桧皮の葺き替えを主として大修理を行ないました。
※ご開帳以外は見る事ができません。
アレなんだかもう一杯になりました。
続きはまた次回というこで・・・・・ |
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この前の続きです。
東吉野村丹生川上神社中社に行きました。こちらの御祭神「罔象女神(みづはのめのかみ)」は、水一切を司る神様で水利の神として、又は雨師の神として信仰され、五穀の豊穣に特に旱続きには降雨を、長雨の時には止雨を祈るなど、事あるごとに心からなる朝野の信仰を捧げ、水神のご加護を祈ってきました。
その近くに東の滝があり高見川、四郷川、日裏川の3川合流地点において日裏川にかかる滝です。落差は5M程、2つの流れが交差する瀑布はかなりの美しさ
本流の滝ということで水量も豊富であり見応え十分だと思います。
落ち口には注連縄がある信仰の滝であり神話の滝でもあります。
そこを後にして別に意味なく宇陀市菟田野という所に行きました。 ありました!
「みたらしだんご」で有名な、西昭和堂です。
早々訪れました。
ここのお店はみたらしだんごだけでなく、わらびもち、まんじゅう、ようかんなど、いろいろなお菓子を販売されておられますが、やはりみたらしだんごが人気のお店です。
購入!
少し多めに買いましたのであまりました。(冷めました)
さあ、ここからです!
「冷めても美味しい」・・・・やはり温かい間にたべましょう💦
ここのお店は国道166号線沿いにありますのですぐに判りますよ。
近所には宇多水分神社(国宝)があります。
宇多水分神社風格のある神社です。
こちらの神社は、第10代崇神天皇の御代に速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)を主祭神にお祀りされ、その後式内大社に三棟の本殿は国宝指定で元応2年(1320)の建築。10月の例大祭は神輿渡御が有名で、惣社水分神社より姫神様が来られます。機会があればその時期に来たいです。
神社にお供え物をしてからまた移動です。
次回に続く
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