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天正11年(1583年)3月
秀吉は柴田勝家としずがだけに於いて雌雄を決する戦いの火蓋を切る
そして佐久間は単身秀吉本陣めがけ討ち入り
秀吉の肝を冷やさせたと言われている。
上だんじり下だんじり問わず多くのだんじりに使われている
図柄でもあります。
下だんじりは他のブログ等でよく掲載されているので
今回は上だんじり主で掲載したいと思います。
何処のだんじりのものかあえて紹介しないので
何処のものが考えながら見ていただけたらと思います。
(すぐ分かるとおもいますけどね^^)
下だんじり↓
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地車太鼓台彫刻に使われる図柄題材
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上だんじり特に板勾欄出人形式地車によく配される図柄で
彫物師も殆どの物が西岡一門の作
「史記」等には龍退治ではなく白蛇あるいは大蛇退治と書かれていて
なぜそれが龍になったか諸説あるが、龍のルーツは蛇にあると言う
説を聞一多と言う人物が唱えた。
中国で人々が氏族ごとに別れて暮らしていた時代
蛇をトーテムとする氏族がほかの多くの氏族を征服し
それらの氏族のトーテムの一部を取り込んでいった。
その結果「大蛇を本体とし、馬の頭とたてがみと尾、
鹿の角、犬の爪、魚の鱗と髭を合わせ持つ龍のトーテムが生まれた」と。。。
それと今回の龍から蛇に図柄が変わったのが
少しでも関係あるのかは?
ただ漢の高祖の話をみてみると
劉邦が挙兵する前に酒に酔って大蛇を斬った
その夜、劉邦は老婆の泣き声を聞き
その老婆が言うに「我が息子はもと白帝の子で蛇に化していたが、
赤帝の子に殺された」
これを聞いた劉邦は「これは自分が真竜天子」であるという天の啓示」と
大いに喜んだと書かれている。
この話からすると龍退治は???っとなるが・・・
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天皇家の初代カムヤマトイワレビコ(神武天皇が日向国を発ち、大和を征服して橿原宮で即位 するまでの日本神話の説話。 この神話の解釈としては、全くの創作であると言う説と九州ににあった勢力が大和に移ってきて ヤマト王権を築いたと言う史実を神話化して伝えたと言う説があるようですがはっきりした事は 分からない ↑堺市深井澤地車 ↑富田林市須賀地車 ↑東大阪市枚岡出雲井鳥居太鼓台 ↑貝塚市半田地車 ↑熊取町五門地車 ↑堺市東八田地車 |
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