文字通り、宣教学の視点から、福音と現代について語る研究書。


最近、有名な格言"Extra ecclesiam nulla salus est"(「教会の外に救いなし」)について知り合いと議論したのだが、その意味の変遷についてもコンパクトにまとまっていてわかりやすい。

つまり、オリゲネスや聖キプリアヌスの語られ方と、聖アウグスティヌスの語られ方、またそれ以降ではニュアンスが微妙に異なるということ。


もっとも、著者は、カール・ラーナーのいわゆる「無名の殉教者」説ですら物足りないとされているようで、それでは教会の絶対性という前提に矛盾を来たすのではないだろうか。
なお、カトリック信仰が価値相対主義をとらないということは、これまで何度も、公文書によって明確に示されている。

(相対主義っぽくなれば当然のことながら)布教の意義についても回りくどくわかりにくい説明をせざるを得ないという一部(とはいえないか)のカトリック神学者の考え方には首をかしげてしまう。
もっとシンプルにいけないのだろうか。

また、信仰の土着化ということをやたら強調されるが、どのように、どの程度でそれを認めるかということの議論が薄すぎるような。他の著作にあたれということか。

あと、教導権を軽視(あるいはその見解を曲解)するかのような文章を見ると、気分が萎えてしまう。

著者の見解を理解しきれてないかもしれないから一般論でしかいえないが(※)、教導権を軽視しつつ信仰の土着化を放縦に認めるならば、その結果は悲惨なことになると思われるところ、その結果につき責任をとられる覚悟があるのだろうか、などと思ってしまう。

※シーゲル師ご自身は、無意識的な土着を認めるよりも土着は避けられないのだから問題について意識していた方が放縦に至らないとお考えのようにもみうけられるが、この本を読んだ人がすべてそのように解するとは限らないと思う。


まあ、私にとっては、学問としての神学の理解よりも、自分の信仰の方が大事なのかもしれません(理解できないことへの負け惜しみ?(^^;))。

+Credo in unam sanctam catholicam et apostolicam ecclesiam.

地味な玉虫発見

今朝、うちの前の木の枝に、玉虫とまったく同じ姿をした地味な昆虫が留まっていました。

うす茶色で黒いまだら模様の、地味とはいえ、なかなかおしゃれな色合いです。

玉虫といえば、「玉虫色の解決」だとか「玉虫厨子」など、日本では昔からなじみのある昆虫のようですが、ふだんは高い木で暮らしているそうなので、そんなにしょっちゅう出会うものではありません。

私も、これ以前にはたった1度しか目にしたことがありませんが、ほんとうに綺麗な虫ですよね。


さてこの玉虫君(メスかもしれませんが)、あまりに地味だったので写真に撮るのを忘れましたが、うちの前だと誰かに踏みつぶされるかもしれないということで、近くにあったキンモクセイの木に戻しておきました。
(後から調べて知ったのですが、玉虫の多くは欅の木に住んでいるようです(^^;))


この玉虫は雌だから地味なのだろうか?と考えていたのですが、私たち日本人が一般に思い浮かべる玉虫は、雄・雌両方ともにギンギラギンのあの緑色だそうです。

もっとも、今日うちの前にいた玉虫は、下のサイトでいう「ウバタマムシ」のような汚い(ごめん)色でもなかったのだけど。
(新種だったりして(笑))



参考サイト:http://www.pref.kochi.jp/~kankyou/tosa/8500-03.htm

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051103-00000021-jij-soci


判決文が簡潔なことは悪いことじゃないと思うのですが、意を尽くすことなかったということなのでしょうか。

司法行政の介入といっても、この判事の判決文がどの程度問題なのか判断できませんので、私にはピンときません。

(でも、「井上薫」で判例検索かけたら、確かに1,2頁くらいの短い裁判例がたくさん出てきました(^^;))

寒い、受験予備校など

めっきり寒くなってきました。

寒い中、受験予備校に通う人が周りにも他校にも増えてきたようです。

お金はないですが、瀬に腹はかえられませんので、そろそろ利用せざるを得ないかな。ちょっと出遅れた感もないではないし(笑)

おそらく、法科大学院生が何らかの形で受験予備校を利用する率は、従来とあまり変わらないことになりそうな印象をもっています。
(そうはいっても予備校を利用しなくてもすむなら利用しないですませたい…(^^;))

そういう意味では、受験予備校を排除しようとした(一部の?)先生方の目論見ははずれたことになりましょう。

しかし、1.要件事実・事実認定とか判例分析など予備校ではできないだろうことも扱い、またそれに出ないと試験合格は難しいっぽいこと、また、2.いちおうは大学の講義がメインで予備校が従たる地位になった点では、従来とはかなり様子が変わったといえるのかもしれません。

といっても、上の1の点は、講義に出ないとすぐ留年してそもそも試験を受けられなくなるんだから当たり前ともいえ、また、2の点はLSによってはそうでないところもあるかもしれませんが。

新聞広告で知ったのですが、判例六法(有斐閣)の平成18年度版が出てます。ふだんの勉強に便利なので、毎年購入しています。
http://www.yuhikaku.co.jp/bookhtml/comesoon/00002.html


今年は小六法クラスの法令集を買えという指導を受けていますので、これを買うと、ポケット六法+判例六法+小六法と、3冊以上(たぶん試験用六法も買うから)も法令集を買うことになります。

でも、小六法はでかすぎて持ち運びに不便(ちょっと高いし(^^;))。


やはりここは収録法令の数と判例の二兎を追うべく、模範六法で行くか?

模範六法は、実務家御用達というイメージでなんかかっこいいのですが(笑)、判例要旨のついていない小六法と大体同じ大きさなのに、小六法よりも収録法令数が多いらしいというのが気になる。

つまり、けっこうよく見るべき法令でも抄録になってたりするのでは、と心配。

あんなに大きいのに、破産規則とかが「(抄)」だと意味ないしね。

ちょっと悩むところです。

公判前整理手続適用へ

もう10月も終わりです。

明日から施行される改正刑事手続法に基づいて、東京地裁では、公判前整理手続が初適用されるそうな(毎日新聞)。

刑訴法も枝番号が増えてきました。

現行刑訴法については、とある大先生の本によれば抜本的改正はやむをえない、ということが書かれていたように記憶しますが、しばらくこのまま行くのでしょうか。

それにしても、基本法の改正ラッシュで、(大げさに言えば)時代の節目に生きていることを感じます。


※毎日新聞の記事:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20051031k0000e040062000c.html

ロザリオの聖母、われらのために祈りたまえ。

クラシック漫画。めちゃおもしろい…(^^;)


音楽大学ってほんとうにこんな感じなのかな。

「いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしになし得るすべては、無価値だ」。


軽佻な理想論は排されるべきものである。

日々の生活や課題に対して誠実に向き合おう…

秋深まり待降節近づく

今し方うちに帰ってきて郵便受けをのぞくと、女子パウロ会通信販売部からのお知らせが届いていた。

女子パウロ会:http://www.pauline.or.jp/


中を見たら、降誕祭(クリスマス)関係の案内が入っていた。

もうそんな季節なのか。卒業試験が待ってるよ。

時間が経つのがとても早く感じる。

やることは相変わらず山ほどあって。


とりあえず、まずは(心を入れ替えて(^^;))LSの講義をしっかり受講しつつ、新会社法と訴訟法の条文・判例の知識を少しずつストックしていきたい。

今日、いつもお世話になっている先生に夕食をごちそうになった。

その際、先生の研究室に在籍している大学院生の人たちといろいろお話しした。

いつも思うのは、彼らは自分の興味のあることを好きなだけ学べてうらやましいということ。

私たちは、少し興味がわく問題を見つけても、それにこだわることは事実上できない。
多くの科目を平均的にレベルアップしなければならないし。現実には、現状維持も難しい。

だから、どうしても勉強のやり方として、その分野の表層をなでて終わり、ということになりがち。

だから、勉強が楽しくて楽しくて仕方ないというふうにはふつうはならない(そういう人もいるだろうが少数に思われる)。

そういうわけからか、周りを見ても、一般的に研究型大学院の学生の方が、LSのような専門職大学院の学生に比べて生き生きしているように思われる。

のみならず、他の法科大学院生のブログをめぐっていると、研究室内でいざこざが起こっているという記事に遭遇することが少なくない。
やっぱりストレスからなんだろうか。

ストレスを過度にためないためにも、学ぶことはとても楽しいことだと自己暗示をかけることにしよう。

確かに日々の課題をしていて楽しいときもあるし、そもそも勉強できること自体幸せなことなのだから、それはそんなに難しいことではないでしょう。



※この食事時に、知り合いの院生(LS生ではありません)が司祭への道を進むこと決意したということを聞いて、とてもうれしい気持ちになった。
彼がよい司祭になれますように。

主よ、これからも私たちの教会に、御身のために生涯を捧げる司祭、修道者の召命をお与えください。

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