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文字通り、宣教学の視点から、福音と現代について語る研究書。


最近、有名な格言"Extra ecclesiam nulla salus est"(「教会の外に救いなし」)について知り合いと議論したのだが、その意味の変遷についてもコンパクトにまとまっていてわかりやすい。

つまり、オリゲネスや聖キプリアヌスの語られ方と、聖アウグスティヌスの語られ方、またそれ以降ではニュアンスが微妙に異なるということ。


もっとも、著者は、カール・ラーナーのいわゆる「無名の殉教者」説ですら物足りないとされているようで、それでは教会の絶対性という前提に矛盾を来たすのではないだろうか。
なお、カトリック信仰が価値相対主義をとらないということは、これまで何度も、公文書によって明確に示されている。

(相対主義っぽくなれば当然のことながら)布教の意義についても回りくどくわかりにくい説明をせざるを得ないという一部(とはいえないか)のカトリック神学者の考え方には首をかしげてしまう。
もっとシンプルにいけないのだろうか。

また、信仰の土着化ということをやたら強調されるが、どのように、どの程度でそれを認めるかということの議論が薄すぎるような。他の著作にあたれということか。

あと、教導権を軽視(あるいはその見解を曲解)するかのような文章を見ると、気分が萎えてしまう。

著者の見解を理解しきれてないかもしれないから一般論でしかいえないが(※)、教導権を軽視しつつ信仰の土着化を放縦に認めるならば、その結果は悲惨なことになると思われるところ、その結果につき責任をとられる覚悟があるのだろうか、などと思ってしまう。

※シーゲル師ご自身は、無意識的な土着を認めるよりも土着は避けられないのだから問題について意識していた方が放縦に至らないとお考えのようにもみうけられるが、この本を読んだ人がすべてそのように解するとは限らないと思う。


まあ、私にとっては、学問としての神学の理解よりも、自分の信仰の方が大事なのかもしれません(理解できないことへの負け惜しみ?(^^;))。

+Credo in unam sanctam catholicam et apostolicam ecclesiam.

「読んだもの」書庫の記事一覧

閉じる コメント(13)

お久しぶりです。難しい本を読む力はないのですが。日本のカトリックは 30万人でず〜っと横ばい状態ですよね。ミサの文言をずいぶんとやわらかく分かりやすくしたにもかかわらず。ラテン語の方がありがたかったし 意味を知ろうと勉強もする気になるのでは?仏教はお経を現代語にしたりはしていませんよね。お経の方がありがたいと感じる今日この頃です。 カトリックの土着は遠藤周作以降、多少は進展があったのでしょうか?

2005/11/10(木) 午後 11:40 [ jiro ]

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むしろ、ミサ参加率は昔より減っているということです。まあしょうがないのかもしれません。抜本的意識改革がないと上がりはしないでしょう//土着といっても、一部の人が土着土着とスローガン的な標語にしているだけで、実際どのように土着を進めるかが明らかではなく、しかもしばしば滑稽なやり方をしているのも目にするに、このままでは成功しないと個人的には思っています。健全な土着化は必要ですが、典礼破壊は神に唾を吐きかける行為ではないでしょうか。

2005/11/12(土) 午前 0:03 [ kjr** ]

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足跡たどってきました。どうも、はじめましてです。この本は読んでいないのですが、書評を読む限りだと、自分もアナクマさんの批判と同じ印象を持ちました。ある種のバランスが今の教会にはかけているのかもしれませんね。

2005/12/30(金) 午後 7:53 [ f_m*a*b ]

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anakumaさん、ご挨拶とお礼が遅れて申し訳ありません。mixi への参加で、色々のこと勉強させていただいております。 ご紹介の書物は、まだ読んでいません。シーゲル神父のことは、よく存じませんが、おそらく彦左衛門とは、対立する見解を多くお持ちの方ではないかという感触を得ています。 今後とも宜しく。活発なご投稿を期待しています。

2006/10/11(水) 午前 8:52 [ 彦左衛門 ]

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上記anakuma3さんの文中、カール・ラーナーの『匿名の殉教者』とあるのは、『匿名の信仰者、もしくはキリスト者』の誤記でしょう。 ラーナーは、若い時、インスブルックでしょっちゅう見掛けました。但し話したことはありません。彦左衛門は、哲学科で、彼は神学部の教授でしたから、講義も聴いていません。ラーナーのものは、彼の超越的人間論(本の名は忘れました)を読んだだけ。

2006/11/4(土) 午後 5:48 [ カール・ラーナー ]

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上記anakuma3さんの文中、カール・ラーナーの『匿名の殉教者』とあるのは、『匿名の信仰者、もしくはキリスト者』の誤記でしょう。 ラーナーは、若い時、インスブルックでしょっちゅう見掛けました。但し話したことはありません。彦左衛門は、哲学科で、彼は神学部の教授でしたから、講義も聴いていません。ラーナーのものは、彼の超越的人間論(本の名は忘れました)を読んだだけ。

2006/11/4(土) 午後 5:48 [ カール・ラーナー ]

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二重投稿、そして名前を間違えました。投稿者は、ラーナーでなく彦左衛門です。お許しを。

2006/11/4(土) 午後 5:51 [ 彦左衛門 ]

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ラーナーの超越的人間論の本の題名、思い出しました。『Hoeror des Wortes』と言います。これは人間理性は自己完結したものではなく、その本質上、理性を超越した存在者の『語り』に向かって開かれていのだ言うことを論じたものです。

2006/11/7(火) 午後 7:38 [ 彦左衛門 ]

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ラーナーの超越的人間論の本の題名、思い出しました。『Hoeror des Wortes』と言います。これは人間理性は自己完結したものではなく、その本質上、理性を超越した存在者の『語り』に向かって開かれていのだ言うことを論じたものです。

2006/11/7(火) 午後 7:38 [ 彦左衛門 ]

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また二重投稿。この操作ミスの原因はよく分かりません。請うご宥恕。 さてカール・ラーナーは、小生の見るところ、やはり20世紀中頃における、カトリック神学者のうち、三指に入る大学者じゃろう。 しかしその論文はひどい悪文で、難解なので有名。一回読んで分かる人は珍しい。三巻の論文集があり、そのほかにも評論のようなものがあり、彦左衛門一遍翻訳を試みたことがあるが、途中でギブアップしてしまった。

2006/11/8(水) 午後 8:46 [ 彦左衛門 ]

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ところで件の、『み言葉に聴く者』だが、これはもともと、彼が若いころ、スイスのフリブルグのドミニコ会の大学に哲学の博士論文として、提出したもの。しかしハイデッガーやフッサールを沢山採り入れたこの論文、中世スコラで頭の固まったドミニコのおっさん神父審査員には不思議と見えたらしく、パスせず、ラーナーは博士号を取りそこなったと言う曰く付きのもの。

2006/11/8(水) 午後 8:51 [ 彦左衛門 ]

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ところで件の、『み言葉に聴く者』だが、これはもともと、彼が若いころ、スイスのフリブルグのドミニコ会の大学に哲学の博士論文として、提出したもの。しかしハイデッガーやフッサールを沢山採り入れたこの論文、中世スコラで頭の固まったドミニコのおっさん神父審査員には不思議と見えたらしく、パスせず、ラーナーは博士号を取りそこなったと言う曰く付きのもの。

2006/11/8(水) 午後 8:51 [ 彦左衛門 ]

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我々ぼんくらと違って、ラーナーのような大神学者となると、哲学の博士号を取り損なったと言うのは、名誉ある逸話になる。

2006/11/9(木) 午後 10:07 [ 彦左衛門 ]


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