カトリシズム

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教会法について

教会法(カトリック教会法、canon)についてコメントをいただいたのですが、返信が反映されにくく(やふーよ…(--;))、また文字制限もありますので、記事として新規投稿することにしました。


■教会法については、私は、だいぶ前にいくつかの入門書を読んだことがあるくらいで、素人と変わりないです。(いつかちゃんと学んでみたいのですが)

注)というか、私の場合、そもそも基本六法(憲法だとか民法だとか)もぜんぜん「わかっている」というレベルではありません…(^^;)<むしろ「わかっていない」ことがわかって日々愕然


■ですので、そもそも教会法について語る資格はないのです。

が、あえて申し上げますと、個人的には、教会法についてあまりそれを云々されない方が無難ではと考えています。

特に、特定個人に対してその適用について語る場合、一歩間違えれば他人を裁くことになってよろしくない結果を招来するおそれがあるからです。

でも、そのようなおそれがないならよいのでは、とも思います。
ex.誤ったやり方でミサがなされている場合などに、それを指摘する場面で引用(意味深…(笑))。


■ようは、教会法の目的もけっきょくは罪を避けさせひいては人を神の方に向かわせるところにあるはずなのですから、そのように解釈・適用・運用されなければならないと思うのです。

でも、法の解釈はなかなか難しかったりして、ある意味特殊な技術的側面が存するということは、教会法も(というよりある意味「法の法」ともいえましょう)変わらないでしょう。

実際、解釈がわかれるところも少なくないと聞きます。

私も、教会法の文言だけから法文を理解すると、独善に陥る可能性があるかもしれないということも忘れないようにしています。
(まず、聖書や聖伝にくわしい必要があります。のみならず、教導職が出す公文書や判例なども知っておかなければならないのでは)。

ただ、こういうと誤解されそうですが、個人的には、新教会法典が成立してからそれほどの年月が経っていないことなど考えますと、まずは文言解釈(文言を第一にする解釈)を大事にしてよいように思います。
つまり、まずは文字通りの意味で解釈するということです。


■教会法の入門書としては、ホセ・ヨンパルト師の『教会法とは何だろうか』(成文堂)がおもしろかったのでオススメです(法学の知識がなくても大丈夫)。


以上はまったくの私見ですので、教会法の専門家の先生にお話をうかがう機会がありましたら、また記事にしたいと思います。

また、ここを訪れた人で教会法にくわしい方がいれば、コメントなど残していってくださればうれしいです。


#ところで、新教会法典は有斐閣から出てますが、一万五千円くらいすると記憶しています(^^;)。やっぱコピーかネットですよね(笑)

■うーたんさんとちょっと前に話して思い出したのですが、韓国でも、昔、カトリック殉教者がたくさん出ました。今日9月20日は、これらの韓国の殉教者を記念する日です。

彼らが処刑された場所は、今でも巡礼地になっています。

韓国といえば近くて遠いおとなりの国ですが、最近は「韓流」・「嫌韓流」などマニアックな動き(笑)があるところ、また政治的にはいろいろあるようですが、信仰において一致できますように。


■殉教者について、かつて以下のような議論があったことを、たまに思い出します。

その人の教団(あまりの原理主義さから、最近は同じペンテコステ派の雑誌でも名指しで警告されたそうな)は、日本のカトリック殉教者(いわゆる「キリシタン」)を崇敬(?プロテスタントだからそうはいわないか)し、それを記念とした礼拝などを行っていたようです。今は知りませんが。

彼らは(原理主義なので)日常的にカトリック教会を攻撃し、信者を宣教対象としているそうな。私も、突然(ネット上ですが)批判されたということがありました(^^;)

しかし、カトリック信仰を否定しながら、カトリック信者であるキリシタンその他の殉教者をほめたたえることは、その殉教という行いのみに着目しているものであります。

とすれば、このような人たちは、「聖書に忠実」といいながら、実は「行いのみ」という思想に陥っているといえましょう。

もちろん、このような思想はキリスト教にはありえません。聖書に反するものであります。

ここで、彼らはプロテスタント諸教派の教団だから、「信仰のみ」を建前としているはずが、それとまったく逆を向いていることになります。

このような「行いのみ」というのは、原理主義者以外でも、熱心な人にはたまにみられるように思われます。(というか、「行いのみ」だからカルトちっくになりやすいのか。ニワトリが先か卵が先か…関連性はありそうだけど)


■なお、カトリック教会や東方教会などは、「信仰のみ」ではなく、「信仰と行い」という立場に立ちますが、それは以下の理由によります。

1.聖書は明確に、人は行いによって義とされるとする(ヤコ2:26)。

2.聖パウロは、信仰「によってのみ」救われると言っているが、信仰「のみによって」救われるとは言っていないはず。

3.初代教会から一貫して「信仰と行い」という考えだった。


■日本においては、ルター派などが標語的に使った「信仰のみ」という考えが有名なので、それ以前からの考えであった「信仰と行い」という立場を紹介してみました。

私はカトリック信者なので、いちおう「信仰と行い」という立場に立ちますが、「信仰のみ」という思想も、尊重に値する考えだと思います。

しかし、「行いのみ」という考えには賛成できません。

http://www.tim.hi-ho.ne.jp/catholic-act-d/


■毎年秋に恒例の荘厳司教ミサの案内状が届きました。

文字通りに荘厳なミサです(ラテン語ミサ*)。


■主司式は白柳枢機卿様、他にデカステルロ大司教様(教皇庁駐日大使)、あのピタウ大司教様などたくさんの司祭の共同司式です。

場所は関口教会。(http://www.tokyo.catholic.jp/text/shokyoku/sekiguchi.htm
パイプオルガン(日本における教会用としては最大級)が新調されてますし、この点でも今までよりさらによいごミサになりそうです。


おすすめの集いですので、東京近辺にお住まいの信者はぜひ一度あずかってみてほしいと思います。


■カトリック信者以外の方でも大丈夫です。(もっともご聖体はいただけませんが、その際祝福をいただくことができます。

特に、グレゴリオ聖歌やミサ曲などが好きな人は、CDでしか聞いたことのないものが今でもお祈りで使われることを実感できることでしょう。

広い聖堂で大ききなオルガン&美しい聖歌が響きわたり、乳香も炊きまくりなどなどと、耳、鼻からの癒し効果もあるかも?(笑)



*最近、ラテン語ミサをやるなどと言ってカトリック教会を騙り活動している団体があると聞きますが、カトリック教会と関係のない団体だったりしますのでご注意ください(^^;)。カトリック教会の叙階を有効に受けていない者が執行する「ミサ」はミサではありません。

今日8月2日は、福者ペトロ・ファーブルを記念する日です。


■ペトロ・ファーブルは、聖イグナチウス・デ・ロヨラの片腕という立場の人でした。

聖イグナチウス・デ・ロヨラについては、世界史にも出てくる人なのでご存じの人もおられるでしょう。
カトリックの修道会、「イエズス会」を作った人です。
彼を記念する日はたしか7月31日だったのですので、一緒に記事にすることにしました。

参考日記「修道会」:http://blogs.yahoo.co.jp/kjrik/1254889.html


■イエズス会は、日本では学校経営でよく知られています。

東大・京大などに進む人が多いという栄光学園、広島学院、六甲などがイエズス会に任された学校です。

大学では、上智大があります。


私もいくらかイエズス会士を存じ上げていますが、彼らの一般的傾向としては、とても頭が良い(良すぎる(^^;))ということがあげられると思います。

私の少ない人生経験のなかで出会ったもっとも頭の良いのではと思う人の一人が、イエズス会士でした。
(法学者としては、今まででは米倉明先生が一番すごいと思った)

それは、クラウス・リーゼンフーバー師です。
(ウィキペディアによる説明:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC )

また、法学者としてたまにこのブログでも名前が出てくるホセ・ヨンパルト師もめちゃくちゃ頭いいと思うのですが、彼もイエズス会士でした。
師の書かれる文章(もちろん日本語)は、その辺の法学者の文章よりはるかにわかりやすい。


リーゼンフーバー師は、はじめてあったときから、この人はすごいという雰囲気がそこここからあふれてました。

教区の神父とは明らかに雰囲気が違う(といっても、教区の神父様は親しみやすい人間的魅力がある人が多く、別に劣っているということはない。単に雰囲気が異なるという意味)。

また、日本人よりも日本人らしい感じがしたものです。

日本人の神父でないのに、日本の文化にとても通暁されています。

昔、カトリックの勉強をしばらく教わっていたのですが、今となっては貴重な時間でした。


■ところで表題のペトロ・ファーブル、彼も学者としてもとても有能だった人だそうです。

それに比べて、イグナチウス・デ・ロヨラは、頭がいいというよりも人間的魅力の点で目立った存在でした。
そもそも彼は、30まで放蕩の限りをつくしていたところ、31歳でカトリック信仰に目覚め、勉強をはじめたような人です。

当時の30歳というと、今だと40以上に相当するのでしょう。
そのような年齢から一念発起して歴史に名をとどめられるというのは、すばらしいことだと思います。


ロヨラの聖イグナチウス、われらのために祈りたまえ。
福者ペトロ・ファーブル、われらのために祈りたまえ。



#リーゼンフーバー師については非公式サイトがあります。興味のある方はどうぞ。
http://www.anatomists.net/K-Riesenhuber/

今日7月22日は、お菓子「マドレーヌ」の名前の由来となった人を記念する日です。


もともと娼婦だった(当時、娼婦は忌み嫌われていた)マグダラの聖マリアですが、キリストと出会い劇的な回心を遂げます。


は〜それはともかく、今週もいろいろありました。ねむ…


聖マリア・マグダレナ、われらのために祈りたまえ。

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