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不登校、引きこもりの君、そしてその親へ
「スリッパ勧めても断る客」
自宅に来た客に、スリッパをはくよう勧めても断られたことがある。インターネットの掲示板「発言小町」に、そんな投稿が寄せられたのだそうです。「他の人が履いたスリッパに足を入れるのはためらわれる」のだそうです。
思い出しました。武蔵国際総合学園時代を。現在は日々輝学園高校に合併されましたが、私の在籍時は、不登校の子供たちを受け入れていた科学技術学園高校の技能連携校でした。
潔癖症と言われていましたが、ひとが触ったものを触れないという人たちがいたのです。
乗り物の手すりをつかめない、トイレの便座に座れないなど。手を洗うと何時間も洗っている。歯を磨くときも同じ。風呂に入る時も同じです。
私は月に1回ぐらいはカラオケスタジオに行くが、そこで見たのは、マイクをハンカチでくるんで歌っていたシルバーのおばさんだった。マイクは大勢の人が持つから気持ち悪いのでしょう。でもこの人、だれが座ったかもわからない座席には、マイ座布団は敷いていませんでした。
最近は、無菌、無臭社会である。子育ての時代からそれは始まっている。食べているときは、口が汚れた、手が汚れたといってはやたらと手をふき口をふく。トイレに行けば、行ったで、前も後ろもごしごしといつまでも拭く。汗をかいたといっては、ちょっと濡れたといっては着替えさせる。親の見ていないところでは、なにを触り、なにをなめているのかも知らずに。赤ちゃんの時、洗濯ものは雑菌をたくさん持つ大人のものと一緒に洗わない、と言われたが、娘のいないときは一緒に洗っていた。その延長線上にいまの君たちがいる。家族のもの、とりわけお父さんのものとは一緒に洗濯しないとか。そのうち家庭の風呂も、例え家族でも入った後には入れない、と、一人ひとり水を入れ替えるということになるかもしれない。風呂も一人、一人、洗濯も一人ひとりとなっては、いくら水の豊富な日本でもたちまち水不足になってしまう。世界には飲み水さえ十分にない人たちが何億人もいるというのに。
銭湯や温泉はどうなのだろうと思う。特に温泉は病気を治す温泉療法というのがあるくらいだから、病気の人が入るのは当たり前。どんな病気を抱えているかもわからない。どんな仕事をしているかもわからない。どんな所に住み、どんな生活をしているかもわからない。そんな人たちが一緒のお湯につかる。それに抵抗は感じないのであろうか。
勿論抵抗を感じる必要はない。今まで、入浴により、病気が感染したという話は聞いたことがない。あそこの銭湯が、ここの温泉が発生源だという話も聞いたことがない。
人間は、実験室で、無菌無臭の世界に住むものではない。雑菌に囲まれ、暑い時も、寒い時も、雨の時も、雪の時も耐えて生きられる逞しき生き物だ。私とて、最高気温39度にもなった昨日だが、未だにクーラーをつけないでいる。
そういった厳しい環境から文明が人間を遠ざけようとしている。それはとりもなおさず、人間の生きる力を殺いでいることだ。
子育てをそばで見ていて、やがて清潔志向の強い子どもに成長していくのだろうと見ている。度が過ぎなければいいがと思いながら。
君たちの中にはいないか。このような潔癖症のひとは。近くの銭湯にいって試してみるがいい。見ず知らずの大勢の人が入っている浴槽に浸かっても君は何ともないことを。
今日の名言
自由と我儘との界は、他人の妨げを為すと為さざるとの間にあり。 福沢諭吉 「学問のすすめ」
平成24年7月18日記 中島 清
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