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前回は「肩書き」にだまされない方法を述べた。今回は「記事の内容」にだまされない方法である。
似非学者にだまされないためにはどうすればいいか。
そのような人が書く記事の特徴は、次のようなものである。
(1)あいまいな引用
たとえば福島原発関連のブログ記事に「福島原発事故はブラックスワンが顕在化したにすぎない。」と一言を入れて、「ブラックスワン」の個所をアマゾンの書籍『ブラックスワン』とリンクさせる。
これだけで、ブログ記事の作者が、この本を詳細に読んでいるかのような印象を与えることができる。
しかし、この程度の引用は「耳学問」で十分に可能である。つまり、酒の場で知人から聞いたうろ覚えの知識であっても、この程度のことは書けるのである。
本来引用とは、引用する著書の本文当該箇所を括弧でくくって書き出し、引用著書名と引用頁を付記すべきものである。これだけのことさえできていない場合には「耳学問だな」と疑うに十分である。
詐欺師は、この手法を巧妙に用いる。本文をいっさい引用せずに、まるで熟読したかのように見せかける。
しかし、このような詐欺を見分ける方法は、実に単純である。本文と引用箇所が明記されているかいないか、それだけである。詐欺師は本文を引用できないし、引用箇所の頁を付記できない。なぜなら読んでいないからである。
彼らは「読者が読みづらくなるから、本文の引用まではしない。普通、雑誌程度の記事は、そんな面倒なことをしない」と言い訳するかもしれない。しかし、そのようなことは、ジャーナリストが言うならまだしも、学者と名のる者が言うべきことではない。
(2)図やグラフの引用
同じことは図やグラフの引用についても言える。
図やグラフが挿入されている場合には、それらを描く際に使用した諸データを参照できるかが重要になる。
なぜなら、図やグラフを描く際に使用したデータの数や精度の違いによって、同じ現象を扱いながら正反対の結論を導き出せるからである。だから、図やグラフを示しただけでは信頼性が低い。
図やグラフに権威ある雑誌の名前が引用先として付記されていたとしても、元データが示されていなければ、信頼するわけにはいかない。
元データが示されていたとしても、元データ自体が信頼できるとは限らない。
それは繰り返し検証されなければならないものであり、したがって、図やグラフの信頼性とは、一般に考えられているよりもはるかに低いのである。
科学の世界では、これは当然のことである。たとえ『ネイチャー』に掲載された論文の図やグラフが示すことであっても、実際に追試を行って結果が確認されなければ、信用されることはない。
(3)専門分野への言及が少ない
普通、学者あるいは専門家と名のる者は、自分の専門分野をもち、そこでなにがしかの研究をしているはずである。よって、専門分野に関する言及が少ない記事を書く者は要注意である。
より重要な点は、たとえ学者であっても、専門分野以外については、普通の人間と同程度の知識かもたないと考えるべきであって、彼らの主張を鵜呑みにしてはいけないということである。
「どれほど詳しそうに書いてあろうとも、鵜呑みにしてはいけない」ことは強調しておきたい。
たとえば、経済畑の人が、福島原発の圧力容器の構造などを図解入りで説明して「圧力容器はかように頑強だから安全だ」などと書いていたとすれば、それは飲み屋の酔っぱらいの講釈と同レベルの意見として扱うべきである。
専門分野に長けた学者であればあるほど、専門外の事柄については慎重に言葉を選ぶものである。
したがって、たとえ学者の書いた記事であっても、専門分野以外の記事については素人の意見とみなす方が妥当である。
まったくデタラメだとは言わないけれど、眉にたっぷりつばをつけた方がいいことは確かだろう。
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全く貴方の云われる事は全く正しい。理屈と膏薬は何処にでもくっつく。
人はその人が持っている情報(体験も含めた知識)で意志決定する。従って同じ情報を共有していれば同じ結論になる。誤った情報を持っていれば誤った結論をだす。正しい情報を持っていれば正しい結論を出す。曖昧な情報で結論を出せば当たらない。正確な情報で意志決定すれば正確に当たる。之が情報と意志決定の科学。ただ問題は、その情報に横から割り込む政治的利害により歪められる事である。この横やり情報をノイズ(外乱)と云う。其れをよく見極めて判断しなければならない。其れを見分ける洞察力こそが今の世には特に要求される。
猿を100匹集めても猿知恵以上のものは出ないと云う事。また1000の雀の声より一つの鶯の声。
なるほどね。情報は優れた情報こそ価値があると言える。優れていない情報は喧しいだけである。
2011/6/11(土) 午前 9:48 [ tas ]