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「ミシュランガイド」の日本版が発売されたことで、非常に安堵している。なぜなら、これである程度の偽者が排除されると考えられるからだ。
ミシュランの信用度は高い。だからこそ世界中で長く参照されている。いい加減な評価をしていながら、100年近く信頼されることはないと判断してよいだろう。そうであれば、彼らが評価する店で高額の代金を払って食事をしても、それに見合った満足は得られると考えてよいと思われる。いたずらにテレビや雑誌で紹介された高級店に入るよりは遥かに安心できる。
食通を自称する日本人が、メディアに露出してミシュラン批判を繰り返しているが、彼らの主張が100年の歴史を誇るミシュランよりも信頼を集めることはあるまい。
例えば、勝谷某という人は、関西の番組でミシュランを批判した上で、自身が書いたおいしい店の紹介本を宣伝していた。これはまさに釈迦に説法、見ている方が恥ずかしくなった。
彼はまた「お金をかければおいしい料理ができるのは当たり前だ」といって、ミシュランの評価姿勢を批判していた。しかし、これは的外れの主張である。そもそもミシュランガイドの目的は美食の追求であり、料理の値段を問題としていない。味はもとより設備の充実度やサービスの程度などを含めて美味しい料理を楽しむ環境を探し求めた結果、高額な料理店を紹介せざるを得なくなったのであり、その姿勢を批判するのであれば、金に糸目を付けず純粋に美食を求めるミシュランガイドの目的自体を否定することになるだろう。
そして、もしミシュランの目的自体を否定するのであれば、東京版だけでなく、パリの店を紹介するミシュランガイドも批判の対象となるはずである。ところが勝谷某は、パリのミシュランガイドと比較して、東京版は調査が不十分であり、評価方法に疑問があると批判するのである。
もし彼が、「安くて美味しいものを紹介するのが正しい評価のあり方だ」と言いたいのであれば、これはミシュランの目的自体を批判するものであり、従ってミシュランガイドがどの料理店を評価したかという本の中身とは別に議論されるべきである。つまり、このような批判は「ミシュランの美食追求の姿勢は根本的に誤っている」という批判であり、「ミシュランによる個別の料理店の評価は信用できない」といった批判とは別に語られねばならない問題でなのある。
100年の伝統を誇る食通の集団による評価と、素人の個人的な感想を対等のものとみなすことは、プロ野球選手のプレーと草野球のプレーを対等とみなすことに似ている。プロの評価をプロ中のプロの料理人が認めてきたからこそ、ミシュランガイドはその権威を保ち続けてきたのである。こうした点に少しでも考えが及べば、勝谷某のような言動を公衆の面前ですることの恥ずかしさに気づかされるし、彼の言葉に耳を傾ける者もいないだろう。
少し脱線するが、同様のことが環境問題においても見られる。例えば、数千人もの世界中の科学者が集まって研究を続けた地球温暖化に関するIPCCの調査報告書を、温暖化に関しては素人の科学者が否定して騒ぎ立てる場合がそうである。
IPCCの報告書の内容を検討しているのは、彼ら少数の奇矯な科学者たちだけではない。環境問題に関心を寄せる世界中の科学者たちが、厳しい目でチェックしている。もし報告書の内容に不備があれば、世界中の科学者が批判的な見解を示すだろう。さて、そうした動きが世界で起きているのだろうか。
ミシュラン批判やIPCC批判などを行う者たちを見ていると、ニーチェの云う「俳優」Schauspielerあるいは「市場の蠅」Fliegen des Marktesという語を思い出す。市場の蠅と形容される愚衆、中身のないことを大げさに吹聴して回る人々のことである。
ついでに、
「料理の鉄人」などといった番組に出ていた料理人たちの店は、今回いくつミシュランに掲載されたのだろうか。
wikipediaを覗いてみると、例えば、西麻布「クイーンアリス迎賓館」は掲載されていないようだ。ここのオーナーシェフである石鍋裕氏は、初代鉄人らしい。二代目鉄人は渋谷「ラ・ロシェル」オーナーシェフの坂井宏行だが、彼の店もランクインしていないようだ。中華の鉄人陳建一は赤坂「四川飯店」総料理長として登場していたが、彼の店もまたランクインしていない。和の鉄人道場六三郎の銀座「ろくさん亭」「懐食みちば」も入っていない。中村孝明は、番組登場時は「なだ万」理事・料理本部長(総料理長)だが、後に独立し、1999年10月に「孝明 ARIAKE」オーナーシェフとなったとある。高名な「なだ万」はやっと一つ星だが、「孝明 ARIAKE」の名はリストにはない。
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