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死 と  眠り 

私の中では 座禅は一日一回 5分でもやろう と
決めていた。もちろん 椅子座禅
これが できないのだ。
 
ストレッチは10年この方 続いてるのに。
こちらは 朝やるからか?。
 
夜 寝る前に 気功ひとつ ずわいしょうをやろう と
決めても 眠気のほうが 優先してしまう。
 
座禅会の会員になって 一月一回は 出よう と決めてるけど、
こちらも 何のかの 出られぬときが 多い。
言い訳かも ね。
 
今日 夫に押されるように 行って来た。色即是空だよ なんて 言われながら。
 
久しぶりの おさぼり明けの 座禅会
 
色々 雑念が沸いてくるんだけど、気にしない 気にしない 五木寛之と気功師の先生との対話を 思い出していた。
 
煩悩を絶つなんて どだい無理な話。
その煩悩を 見つめれば いいんじゃないか って
 
私は 私流に都合よく解釈しちゃったんだ。
そうよ。
座禅組みながら あぁ今朝の貝の味噌汁おいしかったなぁ なあんて思っても
いいんだわ と
 
でも 今日は 出がけに夫の言った 色即是空 を考えちゃった。
そして 死をおもった。
 
 
 
 
 
 
私は 死を怖いと 思ったことは ない。
というのも 自分の身に切迫したことが なかったせいかも しれない。
 
詩人 新川和江の影響もある。
彼女は 死は 眠りと 同じ と捉えている。
 
眠りは 全身 リラックスした状態の時に訪れる。
気持ち いいよね。
自然の眠りに 入るときは。
 
老衰で死ぬときも そうじゃないのかな。
 
寝ているととき 私 という意識は ないよね。
無 だよね。
私が お宿にしてる 肉体は そこにあって 息をしてるけど
私 は いないのよね。
そのときだけ。
 
死 も そうじゃないの。
 
違うのは 息をしてれば そのお宿 肉体に 私 という意識が 戻ってくるのよ
ね。
眠りから 覚めれば。
 
毎日 毎日 私は 消えてるよ。
消えては 戻ってくるのよ。
この世で借りてる肉体の上に 戻ってくる。
 
この世で借りてる肉体は だんだんに 磨り減ってきて いつか機能しなくなる。
壊れてゆく。
それを 病 老化と呼ぶ?
 
肉体が ぼろぼろになって 細胞が原子に帰ろうとして 私の 帰るべき場所がなくなる。
それが
 
死 なんじゃないかしら。
 
つまり 私は毎日 毎日 死の練習してるんじゃないの?
 
 
座禅して 無になろう なろう と思わなくても
眠りにはいれば 無 だよね。
 
ただ、座禅して 一時を 静止するって 気持ちいいんだ。
今日は 眠くも なかったし。
無 には なれなくても すっきりしちゃった。
 
交感神経と副交感神経が同じくらいの強さのとき
心が からっぽに なるってきいたっけ。
 
私には 心がからっぽに なった経験は2度ほどある。
 
それは いずれも 海を見つめてるときだったり 池の漣を見ていたりしたときである。
幸せ感に 満たされていたってけ。
 
または 砂漠の写真を見ての開放感だったりする。
 
今日は座禅会に いって 本当に よかった。
 
 
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