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ワンパターン思考でいいの
水戸黄門が多くの人に愛されている。この紋どころが目に入らぬか の切り札で締め括られる。
勧善懲悪のはっきりした、単純ドラマである。あくまでデフオルメされた善と悪。
一つのおとぎ話の中に(やったあー)という満足感を視聴者は、抱いている。
鬱々と楽しまない現実を、このドラマにぶつけている。
人は善と悪の間を揺れ動く動物だ。あんなにおとなしくて、人の良さそうな人が、思わぬ犯罪をしでかすし、いかにも怖そうなお兄さんが、意外に優しかったりする。
クラシツク音楽は○ 演歌は× 万葉集は○ 俵まちは× 同じ賭事でも囲碁、麻雀は○ 競輪、競馬、パチンコは×
宗教もキリスト教は○ 創価学会は× きれいなものは○ 汚いものは×
地味で質素な色は○ 目立つ色は× 貞淑に妻は○ 浮気妻は× 自民党は○ 共産党は×
こういった決めつけをする人がいる。こういう人達を私はかつてにワンパターン思考と呼んでいる。
これはよくて、これは駄目
ある先生から、太宰治は文学じゃない と決めつけられ、自分の好きなその作家の名を
以後、口にできなくなつた。
要するにこれはよくて、これは駄目でもいい。他人に押しつけなければ。
このワンパターン思考の裏にあるもの、それは、一人よがりであり、一種の差別である。 自分の優位を確認したいがための。
自分の中にある、既成の概念に揺さぶりをかけてみる必要はなかろうか。
一から そうと思いこんでる事を疑ってみる事をしない限り、自由な発想、進展は生まれず、単なる頑固者で終わってしまうだろう。
決めつけはどこかに無理が生じ、○と×は敵対するようになるだろう。人間の一番の不幸は、互いを心から理解しあえぬ事である。
似たもの同士で固まればかたまつたで、次にくるのは、マンネリである。
異種のものが、ごつた返してる環境こそ丸い人格が作られると思う。つまり、自分の好まない、異種のもの、他人の存在を認め許容する心がなければ、成立しない。何事も。
自分は嫌いだけど、そう言う人もいるんだと言う自覚。
私の妹は、青い目の夫と、アメリカで暮らしている。彼女は言う。
(アメリカではね、色々の人種がいるの。だから自分の考えをはっきり言うの。でも、人の話もちゃんと聞くわ。そして最後はあなたは、あなた、私は私、意見が平行線でも、そのままよ。とても楽なの。押しつけられないから。)
他民族から成り立つ彼らは、平和共存のために編み出した知恵だつたのだろう。
アメリカ人は目と目が合えば、にっこりする。(敵意はありません)という証の挨拶なの
通う道すがらである。
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