心 機 一 転そもそも、 「初心に帰る」 ことの動機は、
50歳も過ぎて、体力も精神力も、翳りをかくせない自分を感じる時代に、
忌まわしき、天変地異による国土の打撃と、人類史上例のない原発事故を、よもや我が郷土福島県が罹災しました。
震災・事故当時はこれほどの甚大な被害に拡大するとは誰しもが予想できませんでした。
あれから、しばしの時間が経過しましたが、我が福島県の相馬・双葉地方の県民はいまだに避難生活を余儀なくされ、私の故郷喜多方市も終わりの見えない風評被害に苦しんでいます。
私は、地方に住む人々の暮らしの安心・安全のために、地方議員の道を選び、周囲の方々に支えられて、その職に就くことができています。
地域の人々のために、様々な課題に取り組んでいこうとする私自身の気概が、この震災・原発事故によって、相当のダメージを受け、今後の展望が見いだせない気持ちに陥りました。
それでも、どんな困難な道であっても、前に進んでいく気概を取り戻すために、私は私自身が体力・気力・精神力ともに充実していた頃の、暮らし拠点を訪れながら、精神的な再起を図ろうとしました。
★ 地元を離れて、東芝学園で企業のスパルタ教育を受けていた場所
★ 初めての寮生活で、娯楽禁止の厳しい生活を強いられた場所
★ 初めての社会人としてエンジニアとして、働いていた場所
★ 一生の伴侶と出会った場所、過ごした街並み
そして、この国のおかてれいる実情を憂い、国に殉じた先人への感謝をこめて
★ 終戦記念日に靖国神社に参拝
★ 戦没者追悼中央集会への参加
★ 日本会議へ議員会員として入会
★ 尖閣上陸、竹島占拠、韓国大統領暴言に抗議する緊急集会への参加
そして、先日再度上京し、
★ 被災地を支援し続ける長渕剛氏の武道館ライブで、人々の支援の輪を認識
★ JR川崎駅西口再開発地区に往時を偲ぶ
JR川崎駅西口再開発地区の植栽
この緑地は、東芝本社前にあった広場の一部を現在まで残しているものです。
今となっては、この緑地の前身を知っている人は少ないでしょう。
東芝本社の建物の一部です。
緑地の一部に何箇所か残してありました。
川崎が東芝の企業城下町として発展した形跡です。
画像上下の道路は元々の道路
画像中央左折の道路が東芝堀川町工場敷地内通路であった箇所を一般道にしたものです。
上下の道路の左手すべてが東芝事業所であった場所です。
現在は、大型商業施設とマンション群になり、当時の面影はわずかです。
私の想いでは30年の歳月とともに、色あせてきていますが、このまちの激しくも変化した画像の一部に、私への新たな勇気をあたえてくれる部分がありました。
画像左手奥の大型クレーンによる建設工事箇所。
ここに港区浜松町に移転した東芝本社が戻ってくるそうです。
この地に、再び東芝が帰ってきます。
すなわち、原点回帰
今や、家電産業は韓国などのメーカーの影響を受け、厳しい状態ではありますが、このような時代に日本屈指の電気産業である「東芝」が発祥の地、川崎駅西口に居を構え、新たな時代に挑戦しようとする姿勢に、私の心に迫るものがありました。
苦しい時こそ、原点に帰れ。
私は、私を成長させてくれた、会社、友人、場所、先人の行動、あらゆる環境に感謝しながら、
時代の変遷とともに移りゆくものと、残していくもの、語り継ぐもの、変わらない心、様々に感じとることのできた想いを抱いて、
また心機一転、地域のために、人々のために、家族のために、そして自分のために、立ちはだかるものに挑んでいこうと思う。
(脈絡がないままに、完結)
|
わたくしごと・雑感
[ リスト | 詳細 ]
初心に帰る (どうしても立ちたかった場所へ)JR川崎駅構内の跨線橋
左側奥に突き出た箇所に、階段がなくホームもありません。
このナニコレ珍百景を今となって知る人は多くありません。
この部分はかつて、東芝川崎本社・堀川町工場への専用出口であった名残りです。
この出口から守衛のチェックを受けて、直接事業所に入る構造になっていました。
川崎駅西口は多くの東芝事業所があり、町名にも東芝町があるぐらい、企業とともに歴史を刻んできた町です。
かつて事業所があった場所をグルリと散策してみました。
高層マンションのあたりが、私が勤務しておりました半導体事業部の建屋があった付近。
お値段も相当なものと思われるマンションがたくさんたっています。
北側からみた風景
かつて、事業所の体育館があった場所。
東芝学園時代の体育の授業
東芝サッカー部応援チーム (一応私が主将でした)
チアガールチームが夜遅くまで練習した場所
どうしてもたちたかった場所
あるとは聞いていましたが、やっと見つけました、東芝堀川町工場の想いを残す場所
造成が行われる前に施工された記念碑です。
東芝は、電球をはじめ、真空管やX線管、ブラウン管などの日本のパイオニアです。
この地が、日本の照明技術の創成期をささえてきました。
この記念碑の前に立ち、
時代の変遷と変わりゆく町の風景に想いを寄せるとき、
自分の人生を振り返りながら、時代とともに変化をしながらも、大切なものを大切なものとしてとどめながら、常に成長していくべきと、そんな気持ちにもなります。
いよいよ旅も最終段階です。
つづく。 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事
|
外部リンクのテスト記事です。
スルーしてください。
|

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事
蒼き時代の思いは取り戻せるか?シリーズご無沙汰ですみません。
完結に向けて再会です。
あの猛暑の日、
私は、横浜市磯子区にありました。
ついに、私が社会人として少しづつ自分を形成していたころ暮らした場所に舞い戻りました。
東芝磯子第四寮の跡地、
見事なマンションがたっていました。
マンションの駐車場に、私が一生乗ることのないBMWがとまっていました。
この場所が、私が暮らした部屋313号室付近です。
ディスコサウンド全盛の80年代初期、ドナ・サマーのシールをドアに貼り付けて、自分の部屋の目印にしていました。
寮の玄関があったところから、空を見上げました。
紺碧の空です。
私の
蒼かった心
碧い行動
青さゆえの失敗
そこから得たもの
原発に打ちひしがれている
我郷土の空も
この空に負けない清らかな青色です。
今の私の心ははたして何色か。
どんよりと曇っていることがあまりにも多くはないか。
強かりし頃
後ろを見なかった頃
たじろがなかった頃
その頃の情熱溢れる自分を取り戻すために、私は再びこの地に立った。
まもなく、完結..............
|

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- 夏休み
Facebook始めました友人のTさんから、Facebookをお勧めいただきまして、これまでTwitterを含めて、その機能や便利さがイマイチ理解できていませんでしたので、敬遠していましたが、せっかくのお誘いでしたので、恐る恐るチャレンジしてみました。
初めに、アカウント登録に挑みましたが、あれこれ詳細を登録しなければならず、面倒なのですぐに挫折してやめてしまいました。
ところが、メールで 「登録が途中なので完了してください」 なるメッセージが送られてきまして、なかなかしんどいシステムだなと思いながらも無理無理アカウント登録をしました。
ここから驚きの連続です。
何とわが娘の名前をはじめ、私の友人の名前が一挙に表示されて、お友達登録を紹介してくれるのでした。
「なんで、このシステムは私のつながりを知っているんだ?」と少々恐怖に襲われながらも、すぐに友達リクエストを始まめました。
少しづつ記事も投稿してみながら
このシステムはブログの機能もカバーしながら、自分史を作れ、なおかつ友達の広がりが叶う、なかなかのシステムだと気づきました。
しかも、記事の投稿も携帯から簡単にできますので使い勝手も抜群です。
よろしければ、Facebookにもご来訪ください。
|

- >
- コンピュータとインターネット
- >
- インターネット
- >
- その他インターネット




