ブラジル面白滞在記

ブラジルについて知りたい町、サッカー、自然、事象等、ブログ主が知らないことでもできるだけ調べてお応えしたいと思います。

ブラジルの政治&軍隊

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この書庫では大統領と立法、行政、司法、政党そして軍隊などについて言及していこうと思います。政党は現在、乱立状態です。一方、この4年間で3分の1以上の議員が転籍しています。ブラジルでは徴兵制度が確立しています。
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デモクラッツ(Democrats)

うかうかしているうちにPFLがDEMに党名を変更してしまいましたので、
PFLの折角の取り置き記事が時代遅れになってしまいました。

元PFL(Partido da Frente Liberal)につきましては自由前線党と翻訳しておきますが、
DEMは共和党の向うを張って民主党とさせていただきます。

党首:ロドリゴ・マイア(Rodrigo Maia)
設立:2007年3月28日(DEM)但し、前身のPFLは1985年1月24日
所在地:ブラジリア
政治的思想:キリスト教民主主義、自由保守主義
国際連携:全米キリスト教民主機構所属
政党カラー:緑、黄、青
政党認識番号:25

前身のPFLはジョルジ・ボルンハウゼン(Jorge Bornhausen)党首が
教養雑誌の「ヴェージャ・・・Veja」とのインタヴューにおいて
「社会自由主義を標榜する中道主義者の政党です。」としているにも拘らず、
ブラジルの有力な右翼政党と考えられています。

不思議なのは、その党名にも拘らず、国際的な所属組織は国際キリスト教民主党です。
また、政党カラーがブラジル・サッカー代表が着用する全ての色である緑、黄、青の3色と
こちらも贅沢というか、スッキリしないというかよくわかりません。

※写真は大統領官邸です。

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前回に引き続きブラジルの政党のPMDBについての後編を掲載します。

2002年10月の定例の国会議員選挙では513名の下院議員のうち74名が当選し、
81人の上院議員のうち19名が当選し、大政党の一つとなりました。

2006年の大統領選挙でも各州での合従連衡を自由にするために
大統領候補は敢えて立てませんでした。

何故ならば、大統領候補を立てた政党は国レベルで承認されない限り、
ブラジルの選挙法では各州での合従連衡が容認されていないからです。

2006年10月の大統領選挙と同時に行われた国会議員選挙において
PMDBは下院議員選挙で513議席中89議席を獲得しました。

また、1/3が改選される上院議員選挙では81議席中15議席を確保し、
上院議院では3番目の議員数を誇る政党となりました。
また、同時に行われました州知事選挙では7州において勝利しました。


著名なPMDBの党員: タンクレード・ネーヴィス(Tancredo Neves)
ウリセス・ギマランエス(Ulysses Guimarães)イタマル・フランコ(Itamar Franco)
オレスチス・ケルシア(Orestes Quércia)ミシェル・テメル(Michel Temer)
アントニ・ガロチンヨ(Anthony Garotinho)ジョゼー・サルネイ(José Sarney)
レナン・カリェイロス(Renan Calheiros)ペドロ・シモン(Pedro Simon)
ホベルト・ヘキアン(Roberto Requião)ゲルマノ・ヒゴット(Germano Rigotto)
ジョアキン・ホリース(Joaquim Roriz)ハメース・テベチ(Ramez Tebet)

※写真はPMDBのロゴを背景にアントニ・ガロチンヨ、現党首のミシェル・テメル、
 そして、ゲルマノ・ヒゴットの党の重鎮3人衆です。

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タイトルの(PMDB)Partido do Movimento Democrático Brasileiroについては
ブラジル民主運動党と訳しておきます。

党首:ミシェル・テメル(Michel Temer)
設立:1965年12月4日にMDBとして(PMDBとしては1981年)
所在地:ブラジリア
政治的思想:中央集権主義、大衆主義
国際的ステイタス:なし
政党イメージ・カラー: green, yellow
TSE(政党認識番号):15

PMDBはブラジル民主運BDMの後継政党で、固定的な主義を持たない中道政党です。
従って、従来はゲリラ活動をしていたMR−8のようなリベラル派をも抱えています。

軍政が敷かれていました1965年から1979年までの間、法制上で
ブラジルは与党ARENA(国家改新同盟) と野党MDBの2党体制を余儀なくされていました。

1979年以降いくつかの政党が容認されましたが、
1985年にPMDBの党首タンクレード・ネーヴィス(Tancredo Neves)が
大統領選挙にて勝利したものの、任期が始まるとほぼ同時に彼は逝去しました。

代わって、副大統領のジョセー・サルネイ(José Sarney)が大統領に就任し、
1990年まで務めましたが、 彼がPMDBからの唯一の大統領で、
最近の大統領戦では候補を立てずに、国会議員及びgubernatorial選挙に特化しています。

※写真はサムネイル左からPMDBの政党ロゴ、そしてアクティブ画面は
 タンクレード大統領の病死を受けて、副大統領から昇格したサルネイ大統領です。

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共和党の勢力拡大

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今回はブラジルの日系紙であるサンパウロ新聞から以下のような記事を発見しましたので、
例によって、加筆・修正し、掲載いたします。

<新生共和党が急成長 勢力そがれた自由前線党>

<2010年目標、民主党に改称>
新たに登場しました共和党(PR)に下院議員多数を引き抜かれ、
軍政時代の右翼の流れを汲む自由前線党(PFL)は勢力を削がれています。

しかも、PR所属のアルフレッド・ナシメント上院議員(アマゾナス州)が運輸大臣に内定しました。
連邦政府の野党切り崩し工作でもあり、PFLを含む野党側はいっそう不利な状況に追いやられます。
政党名をPFLから民主党(DEM)に改称して、劣勢挽回につながるのでしょうか。


<党首に若手起用、劣勢挽回狙う>
創立いらい22年になるPFLは、政党名を民主党(DEM)に改称します。
党首もジョルジェ・ボルンハウゼン上院議員(66)から、
若手のロドリゴ・マイア下院議員(リオ州、36)に交代します。

2010年の大統領選をめざし、その基礎固めとして、
2008年には全国の主要都市200市に市長を送り込むべく候補者を立てます。

サンパウロ市のカサビ市長は来年、再選を期して立候補します。
それは、昨年の大統領選で敗退したアルキミン前サンパウロ州知事(ブラジル民主党=PSDB)の
サンパウロ市長立候補とは無関係に進めるそうです。

PFLは、昨年の選挙では州知事を一名出したのみでとどまっています。
下院議員は65名の当選だったのですが、PRに引き抜かれ現在58名に減っています。

反対に新設のPRは創立時25名だったのが現在40名に膨れ上がっています。

党は人権擁護、環境保護のほか、雇用創出、教育、保健、治安、住宅面の充実を旗印に掲げています。

民主党と共和党が、ブラジルの二大勢力に成長するかは今後に待つしかないが、
共和党はナシメント上院議員を運輸相に送り込んだことで中央政府参加を果たしました。

ただ、その新運輸相はさきの選挙において票買収の不正が取り沙汰されており、
検察が告発するところとなっています。
それを無視しての就任ですので、今後、尾を引く可能性を孕んでいます。

※写真はリオ在住のGaoさん提供の「ボタフォーゴからみるポン・ジ・アスーカル」です。

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現在の与党であるPTの記事を中断していましたが、最終記事を掲載いたします。

<2005年の危機>
2005年の7月に党はPTBによって汚職疑惑の非難に晒され続けました。
所謂「メンサロン・スキャンダル」として知られているPTが創設以来の危機に直面した事件です。

中でも党のペレイラ書記長(Silvio Pereira)とソアレス財務責任者(Delúbio Soares)が
その事件にインヴォルヴされたことが大きな痛手で、
しかもソアレス財務責任者は党資金の運用に失敗したことを吐露しました。

結果的に前回記事で画像紹介しましたディクレウ官房長官が退任を余儀なくされました。
そしてその2週間後には今度はジェノイーノ党首が責任をとって党首を辞任しました。
代わって、ポルト・アレグレ市の前市長のジェンロ(Tarso Genro)が党首に就任しています。

その危機の結果、少数派閥のメンバーは脱党し、殆どが太陽党P-SOLに駆け込みました。

<2006年の選挙時の危機>
2006年の10月の大統領選挙の2週間前に新しいスキャンダルが発覚しました。
その結果、ベルゾーニ(Berzoni)がルーラ大統領の再選のための選挙参謀を降りました。
選挙資金の流用が原因でした。

※写真はブラジルの下院議院内の光景です。

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