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多くの人に愛される高尾山・・薬王院・・ 高尾山に、天平の時代・聖武天皇のはからいで行基が開山した薬王院があると知ったのは登ってみてはじめてです。 多くの方々が参拝され、 自分に向き合い、自分磨きをされる・・ 家内の安全を祈念される・・ そんな光景にたくさん出会って来ました。 登山の足慣らしの目的で登ったわたしが、まず目にしたのは 異空間の滝修行の方々です。 奥 の 院 本堂の天狗の方々・・多くの願いを聞かれてきたのでしょうね・・ 本坊の玄関・・現世の願いを聞いてくださる僧侶の方・・ 高尾山は、登山の足慣らしの山でも、ミシュラン三ツ星の観光地でもある前に、 1300年以上にわたって多くの人の願いをうけとめてくださるお山でした。 |
美術探訪
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9月1日・・安寧のおもい・・・ 夏の帰省で、久しぶりに備中国分寺に行ってきました。 聖武天皇が、741年に全国に鎮護国家を願い建てた国分寺の一つです。 きょうは、1日 防災の日、都市型直下地震とか、100年に一度の不況と政権交代とか、聖武天皇から、約1300年経っても 人の不安は無くならないようです。 吉備路のこの風景が、安寧のこころで見守れますように。 ここのポジションで、以前 平山郁夫画伯もスケッチをされたそうです。 ここの風景は、「たんぼ 美しい日本の風景」の写真集で森田敏隆さんが、刈り入れまえの田んぼと五重塔を撮っていらっしゃいます。 蓮華の咲いた田んぼと五重塔・桃の木に咲いた花と五重塔 いつまでも 日本の原風景でありますように |
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大原美術館 先人のこころを知る 今回の帰省で、大原美術館を訪ねました。 大原美術館は大原孫三郎と児島虎次郎の二人の出会いで創設され、大原総一郎によって発展しました。 少しですが、先人たちの想いを感じながら写真を撮ってきましたので、ご紹介します。 大原美術館は、昭和五年に倉敷の大地主であり明治時代の主要産業の倉敷紡績二代目社長の孫三郎によって、日本で初めての西洋美術館として建てられました。 東京ではなく一地方都市に建てられたことは、その当時昭和初期としては大変なことでしょう。 倉敷川今橋と大原美術館 孫三郎は現在の早稲田大学に進学しますが、授業にも出ず放蕩の限りを尽くして現在のお金で一億円の借金を作り、倉敷に呼び戻されたそうです。 一方、虎次郎は現在の東京芸術大学に進学して、二度の飛び級という異例の早さで卒業したそうです。その後大原の奨学生になり、ベルギーの美術大学に留学して主席で卒業します。 一歳しか違わない孫三郎がパトロンとなり、虎次郎は日本の留学できない若い画家に本物の絵を見せるために絵を収集しはじめます。 この虎次郎の想いと熱意の収集が、今の大原美術館の骨格になるんですね。 正面玄関 今、わたしたちが良く知っているような画家、ゴーギャン・ロートレック・ルノワール・セガンティーニ・モジリアーニなどの絵が集められていきます。 モネの「睡蓮」は、直接虎次郎が交渉して手に入れたそうです。 マティスの「画家の娘」は、マティスのお気に入りで永らく手元にあったものを懇願して手に入れたそうです。 正面にロダンの彫刻がおかれている 虎次郎が最初に手に入れた絵は、もちろん留学先のベルギーの画家のもので一階に飾られています。 二階には建設するにあたり美術館の横幅を決めた絵が飾られています。 二階の丸窓から外を眺める エル・グレコの「受胎告知」は、この美術館を代表する絵ですが、虎次郎が画廊で見つけたとき、あまりにも高額なため孫三郎に写真を送って相談したそうです。 モネの「睡蓮」の7,5倍の金額だそうですが、今この絵が日本にあることは奇跡と言われています。 美術館となりの喫茶店エル・グレコ 昭和四年に虎次郎は47歳で病死してしまい、それを哀れんだ孫三郎が翌年に美術館を建設しました。 その後、美術館は大原総一郎に受け継がれ、日本と世界の美術品や現代アートが加えられていきました。 大原美術館の中庭、染色館・工芸館 大原美術館から少し離れたところに倉敷紡績、現在の倉敷アイビースクエアー(ホテル他)がありますが、ここの池に浮かぶ睡蓮はモネの自宅、日本庭園から株分けされたものです。 建物を覆う蔦は、孫三郎が当時の紡績工場の過酷な労働環境を少しでも人間的に健康的にする為に温度調節の目的で植えたものだそうです。 倉敷アイビースクエアーの睡蓮と蔦 パンフレットに書かれていませんが、もちろん書く必要もありませんが私の記憶が残る頃、美術館の絵が盗まれたとニュースで流れたのを覚えています。テレビ画面に 目の大きな男の人の絵が出ていて、それはルソーの絵だと知ったのは、大きくなってからでしょう。 数年後、農家の納屋から見つかりましたが、自然光で絵を見る構造の美術館の窓は、それ以来防犯の為に全部ふさがれました。 私にとって美術館が薄暗く重厚なイメージなのは、ふさがれた窓のせいかもしれませんが、それも近年、明るい自然光を取り入れられる施設が増設されました。 大原美術館と大原家の通称みどり御殿の壁(左) 優秀な児島虎次郎という画家の熱意と大原孫三郎の財力により、二人が出会って多くの絵が日本にもたらされたんですね。 孫三郎は、そのほか病院や学校や銀行を創設して、駅から一キロ圏内にそれらを点在させるという街づくり構想を実現させたと祖父から聞いています。 ですから今の観光客の方は駅から歩いて来れるんですね。 みなさんもこんな先人の想いがつまった美術館に機会がありましたら、是非おいでください。 明日、明後日で月山に登ってくる予定です。 次回は、25日火曜日に「花あるき」で月山をご紹介出来ればと思っています。 |



