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人は 生きる希望を失った時 もはや死ぬしかないのでしょうか 苦しみのあまり 衝動的に死を選ぶ人もいるのでしょうが 人は どんな時も 希望を見つけるために生きているので 生きる希望を失ったことが 死ぬ理由にはならないと 心に刻んで 生きていきたいです。
私会社を一度潰しました。 こういうときは死んで保険金で借金を返すもんだと思い、 ある程度死を覚悟しましたね。 希望のなさは死を考える一つの要因でしょう。 でもそのときはなくてもやがて現れたりもしますよね。
2008/5/31(土) 午後 8:47 [ aki*iro*a*i1*17 ]
衝動的に死にたくなる事は別として・・・、子供のころから親は、心のキャパシティを育てておかないといけません。選択肢、生きる巾、考えられる工夫、・・・知恵を持ちたいものです。 不幸の輪廻に入り込まないことです。 生まれた日に、親は世界で一番幸せになって欲しいと思ってくれたのですから。
2008/5/31(土) 午後 8:59 [ wah*han**uko*000 ]
どんな時も、何があっても生きよう、 その気持ちがあれば頑張ることが出来るのではないかと思えます。 心が折れた時もでも生きよう、って。
2008/6/1(日) 午前 9:00 [ - ]
死にたい=生きたいだと思います、力強く咲くカラーのように(この写真の花はカラーですよね、間違ってないとは思うのですが・・・)
2008/6/1(日) 午後 7:25
理屈ではそう解っていても、渦中にある時は見失うもので、友の心に感謝します。 人は皆自ら死を選ぶ時、誰も望んで選択はしないもので、選択肢が死しか浮かばなくなったり、生きる意味や意欲が無くなるのですよね。
2008/6/1(日) 午後 7:41 [ - ]
メリーさん ありがとうございます。大変な経験をされてきたのですね。私は世間知らずで経験もないので書いていることも浅いですが、希望のなさは死を考える要因でもそれ以上にもっと強く生きる要因だと受け止めて生きていくことが出来たらと思いますがどうでしょうか。 いつもありがとうございます。
2008/6/3(火) 午後 8:03 [ 森からの手紙 ]
キラリさん ありがとうございます。親として大切なことですね。そして親の愛を深く感じて育った子供はどんな局面に出会っても強いと思うのですがどうでしょうか。
2008/6/3(火) 午後 8:06 [ 森からの手紙 ]
しょうこさん ありがとうございます。どんな時も 何があっても生きよう その気持ちこそ生きるということなのでしょうね。生きることは条件でなくその生きようとする気持ちこそ大切なんだ いつもありがとうございます。
2008/6/3(火) 午後 8:09 [ 森からの手紙 ]
ロコさん ありがとうございます。死にたい=生きたい そうでしょうね。生きたいを生きようという気持ちに切り替えていくのが生きるということでしょうか。生きたい=死にたいでも生きよう=死のうではありませんから。山の麓で見かけた花ですから名前を知りませんでしたが、教えて戴きありがとうございます。
2008/6/3(火) 午後 8:15 [ 森からの手紙 ]
夢さん ありがとうございます。そうでしょうね、渦中にある時はなかなかそんな風には思えないものだと思います。ただ神様を信じる気持ちがあればどんなに追い詰められてもめったに自ら死を選ぶようなことはないと思うのですがどうでしょうか。
2008/6/3(火) 午後 8:17 [ 森からの手紙 ]
私も神仏を確信しています。 だからいつも寸でで留まっているのだと思います。 死を意識したり覚悟をしても、実行しないところに脳の正常を感じます。確実な死を実行した時点で、神仏以前に脳の異常だと思います。
2008/6/4(水) 午後 9:32 [ - ]
夢さん ありがとうございます。おっしゃられる通りだと思います。
2008/6/4(水) 午後 9:52 [ 森からの手紙 ]
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私会社を一度潰しました。
こういうときは死んで保険金で借金を返すもんだと思い、
ある程度死を覚悟しましたね。
希望のなさは死を考える一つの要因でしょう。
でもそのときはなくてもやがて現れたりもしますよね。
2008/5/31(土) 午後 8:47 [ aki*iro*a*i1*17 ]
衝動的に死にたくなる事は別として・・・、子供のころから親は、心のキャパシティを育てておかないといけません。選択肢、生きる巾、考えられる工夫、・・・知恵を持ちたいものです。
不幸の輪廻に入り込まないことです。
生まれた日に、親は世界で一番幸せになって欲しいと思ってくれたのですから。
2008/5/31(土) 午後 8:59 [ wah*han**uko*000 ]
どんな時も、何があっても生きよう、
その気持ちがあれば頑張ることが出来るのではないかと思えます。
心が折れた時もでも生きよう、って。
2008/6/1(日) 午前 9:00 [ - ]
死にたい=生きたいだと思います、力強く咲くカラーのように(この写真の花はカラーですよね、間違ってないとは思うのですが・・・)
2008/6/1(日) 午後 7:25
理屈ではそう解っていても、渦中にある時は見失うもので、友の心に感謝します。
人は皆自ら死を選ぶ時、誰も望んで選択はしないもので、選択肢が死しか浮かばなくなったり、生きる意味や意欲が無くなるのですよね。
2008/6/1(日) 午後 7:41 [ - ]
メリーさん ありがとうございます。大変な経験をされてきたのですね。私は世間知らずで経験もないので書いていることも浅いですが、希望のなさは死を考える要因でもそれ以上にもっと強く生きる要因だと受け止めて生きていくことが出来たらと思いますがどうでしょうか。
いつもありがとうございます。
2008/6/3(火) 午後 8:03 [ 森からの手紙 ]
キラリさん ありがとうございます。親として大切なことですね。そして親の愛を深く感じて育った子供はどんな局面に出会っても強いと思うのですがどうでしょうか。
2008/6/3(火) 午後 8:06 [ 森からの手紙 ]
しょうこさん ありがとうございます。どんな時も 何があっても生きよう その気持ちこそ生きるということなのでしょうね。生きることは条件でなくその生きようとする気持ちこそ大切なんだ いつもありがとうございます。
2008/6/3(火) 午後 8:09 [ 森からの手紙 ]
ロコさん ありがとうございます。死にたい=生きたい そうでしょうね。生きたいを生きようという気持ちに切り替えていくのが生きるということでしょうか。生きたい=死にたいでも生きよう=死のうではありませんから。山の麓で見かけた花ですから名前を知りませんでしたが、教えて戴きありがとうございます。
2008/6/3(火) 午後 8:15 [ 森からの手紙 ]
夢さん ありがとうございます。そうでしょうね、渦中にある時はなかなかそんな風には思えないものだと思います。ただ神様を信じる気持ちがあればどんなに追い詰められてもめったに自ら死を選ぶようなことはないと思うのですがどうでしょうか。
2008/6/3(火) 午後 8:17 [ 森からの手紙 ]
私も神仏を確信しています。
だからいつも寸でで留まっているのだと思います。
死を意識したり覚悟をしても、実行しないところに脳の正常を感じます。確実な死を実行した時点で、神仏以前に脳の異常だと思います。
2008/6/4(水) 午後 9:32 [ - ]
夢さん ありがとうございます。おっしゃられる通りだと思います。
2008/6/4(水) 午後 9:52 [ 森からの手紙 ]