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氏子さんが心込めて栽培されたスイカをお供え戴き、神前からのお下がりを切り分けてご近所の方にももらって戴きました。
いつも神社を見守って戴いてありがとうございます。

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若い頃から魂のふれあいをさせて戴いてきた友が末期ガンであることを知らされ、ちょっと動揺しています。

私はクニちゃんのことを思い出しました。
ブログで偶然知り合ったクニちゃんが息子さんや友人を伴って土生神社に訪ねてきたのは平成十九年二月一日のことでした。
クニちゃんは末期ガンで余命宣告をされていました。北海道で生まれ育ち、東京で暮らしていたクニちゃんが訪ねてきたのは、『昔から祈りをずっと積み重ねてきたような場所を訪ねてみたかった』とのことでした。
岸和田の七宮詣りをご案内させて戴きましたが、途中で、『私は死ぬことは恐くない。ただ人としてどう生きたらいいのか知りたい』と言われました。そんなこと私に答えられるわけもありませんでした。

クニちゃんが去ってから一週間後私は市民病院で検査の結果が出て自分が甲状腺ガンであることがわかりました。
えらいこっちゃというわけで、神戸の専門病院に行って手術したのが五月のことでした。
その年は矢代寸神社で創建千五百年記念事業に取り組んでおり、いろいろ大変でしたが、何とか神社の仕事に復帰しました。
自分の健康も落ち着いたので、東京からわざわざ訪ねて戴いたクニちゃんのお見舞いに行こうと思い立ち、上京したのが六月十二日のことでした。その日は私の母の誕生日でありましたが、クニちゃんに対面して初めてその日がクニちゃんの誕生日であることを知りました。しかも誕生日までご自宅におられて明日から入院することになっていることがわかりました。
そしてその年の夏クニちゃんはこの世を去りました。

人の命には必ず終わりが来ます。
その終わりまで精一杯生きることが出来たら素晴らしいことですが、命の終わりが見えたら、死の恐怖とか、不安とか、虚しさに挫けてしまいそうになる弱さも人間にはありますね。
その時神様の存在を感じて戴けるようにするのが宗教の役割かも知れません。
神道の立場から言うと、神様は人を救う存在ではなく、共にいて下さる存在のようにイメージ出来るのではないかと思います。

元気な時は自分が生かされていることなど忘れがちで自分の力におごりがちですね。
でも病んだ時 そして死を意識した時にそのおごりに気づかされますね。
私達は生かされているのだから、おごることなく、神様のお手伝いが少しでも出来るように生きていきたいですね。
それは何よりもまず人への思いやり 温かい心を届けたいと願っています。

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