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家康落命?

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昨日愛媛県の高校に通学していた頃からの友人が遊びにきましたので、岸城神社の六覺千手さんの地車写真展を夕方見に行き、写真展に合わせて開かれた四代目旭堂南陵師の講談を午後六時より聞きました。写真は講談の前の岸城神社宮司による挨拶の様子。


講談の出し物は「難波戦記」のうち、真田幸村平野の地雷火 家康を追う真田幸村 家康落命と岸和田のだんじりの彫り物のテーマとしてもよく取り上げられている場面を語られました。


大坂夏の陣で徳川家康が落命したという言い伝えをさも真実かのように迫力を持って語られました。堺の南宗寺には徳川家康の墓もあるそうで、大坂の人はよほど徳川家康に死んでもらいたかったのでしょうか。


各町のだんじりの彫り物には日本人なら良く知っている歴史物語の場面が彫られてあり、その場面をこうして講談で聴くと、あらためて歴史の中に生きている日本人の思いがだんじりの彫り物にも込められていることが感じられてきました。


日本人どうしがいくさをしていた時代。それは遠い歴史の話ではなく、今もその同じ歴史を祖先と共に生きている。その思いがこのだんじり祭の伝統もささえているというように感じられてくるのです。


http://blogs.yahoo.co.jp/rokkakusennjyu/186571/44860515.html


http://blog.goo.ne.jp/chigiri_2006/e/2afc1aa3f842aa47ded619620a577057

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井上千代子夫人 ケータイ投稿記事

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私の手元に古い冊子があって、それをみると、その人が自らの命を絶ったのは昭和6年12月12日のことでした。



夫人は明治44年生まれの泉佐野・長滝出身で、昭和5年3月大阪府立岸和田高等女学校を卒業 同年10月陸軍歩兵中尉井上清一と結婚。そして一年余りの結婚生活の後、出征していく夫が心残りなく国のために尽くせるようにと大阪市住吉区昭和町の自宅で自刃して果てたのです。享年21歳でした。



夫にあてた遺書には『何卒後の事を何一つ御心配下さいますな私は及ばず乍ら皆様を御守り致しますから御国の御為に思う存分の働きを遊ばして下さい。願ふ所は唯こればかりです』と書かれてありました。



当時夫人を讃える声は大変なもので『死の餞別』という映画にまでなりました。しかし今では地元でもその名前すら知る人はあまりいません。


その人の行為の評価は現代では難しいけれど、純粋で美しい心の持ち主だったことだけは間違いないでしょう。そんな人がいたという事実だけはふるさとの歴史の一ページに刻んでおきたいのです。



明日夫人の76回目の命日がやってきます。

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