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今日は午前中ブログで知り合って交流があるjawsさんとお話をしたいことがあって、土生神社にお越し戴き、拝殿でしばらくお話をしました。
今日のjawsさんのブログには
http://blogs.yahoo.co.jp/jaws8257/24904742.html
そして午後は4時ぐらいまで神社の用事をしてから出かけました。電車で天王寺まで出て、目指したところは西成です。
初めに訪ねたのは飛田新地に程近い山王子どもセンターという学童保育所です。ここは飛田新地を含む地域の子ども達の学童保育所であり、釜ヶ崎にも隣接し、戦後釜ヶ崎で初めて活動をされたドイツ人福音ルーテル教会宣教師のエリザベス・ストロームさんが託児所を始められたことが今日の学童保育につながっています。私はこことは学生の頃から交流があり、ストロームさんに会ったこともあります。久しぶりに訪ね、なつかしいマミリーダーの顔も見れました。毎月通信は戴いているので、献金を心ばかりさせて戴きました。
さて釜ヶ崎のことは今までこのブログでふれたことはありませんでしたが、私は学生の頃から細く長い縁があります。また少しずつそんなことも書けたらと思うのですが、旅路の里というキリスト教の施設を拠点にした夜回りの活動に参加して毛布やおにぎりを配るボランティア活動をしていたこともあります。その頃作った小さな詩があります。
みんな同じ世界に生きているのに
自分だけの幸せなんてあるのだろうか
自分だけの不幸せなんてあるのだろうか
この世に別世界はないはずです。
釜ヶ崎はご存知の通り、大阪市西成区にある0・62平方メートルの中に約2万5千人の日雇い労働者が生活している日本最大の寄せ場です。釜ヶ崎はその昔は漁村でしたが、明治36年「第五回内国勧業博覧会」が現在の天王寺公園一帯で開催されるにあたり、その三年前長町(現在の日本橋周辺)に住んでいた人達を釜ヶ崎に移したのが、ドヤ街釜ヶ崎の始まりと言われているのです。
現在そこで生活する人の人生はさまざまで、十把一からげには言えないのですが、差別や偏見ではみんな同じようにしか見えないのです。ホームレスになってしまったような人にいたってはその人に名前があることさえ忘れているような私達ではないでしょうか。
景気のよい時はどんどん集められ、景気が悪くなるととたんに切り捨てられる、人間の使い捨てです。そして何の保障もなく体が資本ですから、病気になるとたちまちどん底に落ち、ホームレスにならざるを得ないのです。
戦前からその人達の救済活動をしてきたのはキリスト教の人達です。現在でも中心はキリスト教で、釜ヶ崎キリスト教協友会という組織があり、そこに10ぐらいの団体が参加しているようです。私もその団体のいくつかと縁を作って活動に参加していました。協友会は基本的にキリスト教の布教を目的にした団体ではないので、その祈りを共に出来る部分もあるのです。近くの教会で布教目的に釜ヶ崎に来ているところもあるようですが。
協友会の事務局になっている旅路の里を訪ねてみましたが、時間遅く閉まっていました。さらに無料の宿泊所の活動をしている出会いの家を訪ねました。代表の渡部さんは不在でしたが、スタッフの方に献金を託しました。
キリスト教の発想と、私達地域に根ざす神社の発想には隔たりがありますが、地域や家族との生活を失っている人達に手を差し伸べている活動に、宗教的には祈りをお供えさせて戴きたいと思っています。これからの厳しい冬の季節 神社は忙しくてなかなか釜ヶ崎やホームレスの方々を訪問できないだけにほんの少しの祈りの気持ちを今日はどうしても届けたかったのです。
三角公園では寒空の下、廃材を燃やして焚き火をする人達。私は社会の厳しさなど全く知らずに生きてきましたが、偽善でもよい、心のどこかにとどめて生きていきたい風景です。
私は釜ヶ崎の中心部にある西成市民館の近くの屋台で沖縄そばを食べました。屋台のママは沖縄出身で大阪に来て40年になるとか。
釜ヶ崎には人間の数だけふるさとがある。帰れないふるさとであるかもしれないけれど、そのふるさとを思いやりのあるあたたかいふるさとにしていくことが釜ヶ崎に出会い、地域に根ざして生きている私の人生の大切なテーマではないかなと思いながら、会社帰りの人達の満員の電車に乗って帰りました。この記事では十分に書きたいこと書けませんでしたが、また書きます。
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