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平野利子さんにお目にかかったのは、神戸市でも西区のはずれにあった岩岡第二仮設住宅でした。
西区でも西神中央の方にある仮設は大規模でもあり、マスコミにもよく取り上げられていましたが、岩岡の方は明石よりで影も薄く、初めの頃支援がほんと少なかったのです。
震災から一年余りが過ぎて、私はその仮設住宅に静岡銀行大阪支店が集めて私に預けた本を寄贈したのをきっかけに活動に入り、数名の高齢者の方と交流を持ちました。そのお一人が平野利子さんです。
平野さんは古典の好きなパワーのあるおばあちゃんでした。
震災前ご主人をなくされてからはお茶の稽古にルンルン気分で通っていたそうです。それが震災で高価な着物も道具も失われました。でもこういう境涯になってみて初めてそういう飾りでなく本当の気持ちでお茶がしてみたいと言われました。私はその言葉に深く感動しました。
その後平野さんは仮設住宅を出て近くの災害復興住宅に移られました。
私は一度だけ、その住宅の部屋にお邪魔させて戴いたことがありました。
その時平野さんは私を精一杯に歓迎しようと缶ビールをすすめて下さいましたが、車だったため遠慮しました。今もそれが心残りです。平野さんとビール飲みながら語り合いたかったです。
その後私の無精で訪ねることもなく、ただ何度かお電話したことがありました。
ある時電話で平野さんが『また会いましょうね。阪井さんは出会いの人ですから』と言って下さったことが今でも心に残っています。
三年前の一月十七日私は久しぶりに平野さんに会いに行こうと思いたち、復興住宅を訪ねました。
しかしそこで私を待っていたのは二カ月前に平野さんが亡くなったという衝撃的な事実でした。
どうしてもう少し早く会いに行かなかったのだろうと悔やんでも悔やみきれません。
今年もまた一月十七日が巡ってきて、私は平野さんがおられた復興住宅を訪ね、住宅内にある福幸地蔵尊に手を合わせました。
私のことを出会いの人と言って下さった平野利子さん。
この世界ではその出会いを十分に大切にすることが出来ませんでした。
そのことを心からお詫びしながら、また永遠の世界のどこかで会えることを願っています。
ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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