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先日関西空港の対岸のりんくうタウンに昨年出来た天然温泉寿楽の湯に行った時、りんくうタウンにあった阪神大震災被災者用仮設住宅のことを思い出し、そこで自治会長を務められた花さんに久し振りに会いたくなり、堺市内の団地のご自宅に訪ねて行ってきました。
ここ数年年賀状だけのお付き合いになっていましたが、久し振りに会う花さんはお元気そうで嬉しかったです。
相変わらず人の面倒見がよく近所の人が花さんの部屋に集まってくるようです。
また同じ団地に阪神大震災の影響で移り住んできた人も何人かいるようで、一人暮らしの人が多いとのことでした。
花さんが島流しにあったみたいやったというりんくうタウンの仮設住宅は三百戸ほどあって実際に住んでおられたのは百四十世帯ほどだったそうです。
男の一人暮らしが多く、酒浸りになったりしないように部屋を訪ね歩いては集会所に出てくるように花さんは声をかけておられたのです。
女性として自治会長を務めるのにはいろいろご苦労も多かったと思いますが、県外にある遠隔地仮設住宅ということで忘れられないように東京に陳情に行くなどバイタリティ溢れる活動をされました。
震災の中のことでしたが、人が助け合って根強く生きることの素晴らしさを教えて戴いたのが花さんとの出会いでした。
しかし花さんがもと住んでおられた神戸の家の跡地は現在駐車場になっており、外見は美しくなっても裏まわったら空き地ばかりで震災を思い出して行きたくないと花さんは言われます。心の底にはまだ癒されないものがあるのですね。
それでも仮設住宅を出て堺市内に移られてからも花さんはお世話になった地域にお返しをしたいと泉佐野市に数年ボランティアに通っておられました。
仮設住宅があった頃は空き地が目立ったりんくうタウンも現在ではさまざまな施設が立ち並び、その一画にかつて仮設住宅があって兵庫県からの被災者がたくさん住んでいたなんて嘘のようです。それだけにあの震災がどんなに大きなものだったかを思わずにはおれません。
りんくうタウンに仮設住宅があって兵庫県からの被災者がたくさん来ていたこと、花さんという女性の自治会長がいて地元からのボランティアの協力も得て遠隔地仮設住宅からの復興に奮闘し災害を乗り越えていったこと、 それはこの地域の歴史としても大切に語り継いでいかなくてはいけないことだと花さんに久し振りに会ってあらためて感じました。
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