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昨日いつもお世話になっております吉水神社の宮司さまのブログを見て、もう当日ですが伊輿田覺先生のご講義があることを知り、この機会を逃したら先生のご講義を生で聴く機会はもうないかも知れないと思って飛び込みで拝聴させて戴きました。
矍鑠としてとても九十四歳とは思えない先生は、『論語の時代』と題してご講義をされました。
学など何もない私ですが、魂のこもったほんとうの学問とはこういうものなのだと感じさせて戴きました。
先生の言霊を感じ大変感動しました。
先生がまとめられた『仮名論語』をテキストに論語の中の仁の教えを中心に何章かを素読しながら孔子と弟子達の関係にも触れつつ孔子の言葉の命を教えて戴きました。
子日(しのたま)わく
賜(し)や 女(なんじ)は予(われ)を以て多く学びて之を識る者と為(な)すか
對(こた)えて日わく
然り非なるか。
日わく 非なり。予は一以て之を貫く。
○先師が「賜(子貢の名)よ、お前は私が多く学んで何でも知っているのですぐれていると思うのか」と言われた。
子貢が答えた。
「むろんそう思いますが間違っておりますか」
先師が言われた。
「それは間違っている。私はただ一つのことでつらぬいているのだよ。」
この「一」が「仁」に相当する。
子貢は大変頭のよい人でしたが、頭のいい人は勘がよくてすぐわかるから深く考えないで浅薄なところがある。
自分のものになっていないので、もう一度同じような質問をしている。
子貢問うて曰わく
一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
子曰わく
其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所人に施すことなかれ。
○子貢が尋ねた。
「一言で生涯行っていくべき大切なことがありましょうか」
先師が答えられた。
「それは恕かなぁ。自分にそうされたくないことは、人におしつけないことだ。」
仁とは忠恕である。
忠とは真心である。自分を偽らず全力投球することである。
恕とは他人に対する思いやりである。
子曰わく
君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。
○先師が言われた。
「君子は義に敏感であるが、小人は利に敏感である」
日本は明治以後脱亜入欧で国を興してきたが、これからは存欧帰東の時代であり、東洋思想の真髄が『論語』にある。
利を考える前に義にかなっているか 考える時代である。
そして最後に先生は日本神道が素晴らしいことを語られ、違ったものを結び合わせる神道の大切さを言われました。
あっという間に二時間を超えるご講義は終わりました。
魂に火をともされるようなお話でした。
あらためて私も『論語』を素読し学び実践していきたいと感じさせて戴きました。
このような貴重な学びの機会を与えて戴きました吉水神社の宮司さまにも心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
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