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今日は強風の中土生町二丁目より赤ちゃんの初宮参りにお越し戴きました。


赤ちゃんの誕生を氏神様に感謝して奉告し無事の成長を祈る初宮参りをご奉仕させて戴きながら子供達が成長していくこのふるさとの歴史と伝統の豊かさ美しさを大切に守り伝えていかなくてはいけないと今日も心から感じました。

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平成七年三月二十日東京の地下鉄車内で起きた地下鉄サリン事件から今日で十五年となりましたね

オウム真理教によるサリン散布によって十三人が死亡 六千三百人の負傷者が出ました。
衝撃的な事件でした。


同じ年の二ヶ月前に阪神淡路大震災が起きていますが、この事件を境に震災のニュースは消えオウム真理教一色となっていきました。
神戸の避難所のテレビでそのニュースを苦々しく見る被災者の表情を忘れることが出来ません。


今日は神前に地下鉄サリン事件被害者の手記集を置いて祝詞を奏上し、犠牲者の御冥福と被害者や御遺族の平安 世の中の平安を祈念させて戴きました。
そしてこのような宗教教団が跋扈するようなことなく神社が世の人々に安らぎを与える場所となりますように勤めていきたいと心新たに誓わせて戴きました。
土生神社・森からの手紙・平成二十二年陽春号
  ご創建九百二十年を迎えて 
                  土生神社宮司 阪井健二
 私が奥野和男前宮司様の後を引き継いで土生神社の宮司に就任してよりこの四月で丸七年 八年目に入ろうとしています。今日まで曲りなりにも宮司として勤めさせて戴くことが出来ましたのも大神様のお守りお導きは勿論のこと氏子の皆様はじめ地域の皆様ご縁の皆様のおかげさまであり厚く感謝申し上げます。ありがとうございます。
 
 奥野前宮司様は平成二年土生神社創建九百年祭をご斎行され大きな功績を残されましたが、昨年帰幽されもはやこの世のお方ではありません。九百年祭から二十年が経過し今年は九百二十年の節目の年を迎えます。その歴史と伝統を受け継ぐ責任の重さをあらためてかみしめているところです。
 
 奇しくも今年は氏子地域では東岸和田駅前防災街区の街ひらきが秋には行われるということであり、大きく変貌していく地域の中で時代を越えて変わらない 変えてはならない大切なものをもう一度見つめ直す時だと思います。その地域の最も大きなよりどころ、人々の心のよりどころとなるのが氏神様をお祀りする地域の神社であることは言うまでもありません。
 今年はご創建九百二十年という節目としては小さな節目かもしれませんが、今後の時代や地域のことを考えると大切にしていかなくてはいけない節目の年だと考えています。ささやかにでも記念行事を行うことを通していかに地域が氏神様に守られ先人のおかげを戴いているかを再認識し次代に伝えていく新たな力を生み出していきたいと願っています。何卒氏子の皆様のご理解ご協力を戴きたくお願い申し上げます。
 
 平成十六年十月二十三日発生した新潟県の中越地震から昨年五年が経過しました。この地震の当日私は豊岡の台風二十三号による水害地に舞子高校の生徒さんらと共にボランティアに行っていました。円山川の決壊個所に近い庄境の隣保館に作業に入ったのです。作業は入り口をふさいでいた大きな流木を十人以上で抱えて撤去することから始まりました。私はその流木を抱えた時流木ということから「流木町」を連想し津田川にも水害の歴史があったかもしれないと思いました。その日の作業は泥水をかぶった館内の道具を運び出し建物内の掃除をすることでしたが、作業が一通りすんで館長様からご挨拶を戴きました。館長様は目に涙を浮かべて「こんな大きな災害に遭ったのは初めてでしたが、それにも増してこんな大きな援助を戴いたのはかつてないことでした。ありがとうございました。」と述べられました。災害を通してあらためて人と人が助け合う大切さを教えて戴きました。
 
さてその豊岡からの帰りのバスの中で私達は中越地震の発生を知りました。
その後中越地震の被災地に私が初めて行くことが出来たのは翌年の夏のことでしたが、村民が全村避難された山古志村では地震直後の惨状がそのまま残されていました。後にご縁を戴いた山古志の牛持ちの親方松井治二さんは地震の翌日全村避難したにも関わらず二日後牛を救出するため村に戻ったのです。道路が寸断され車では戻れないところ昔はみんな山を越えて行ったんだ、昔に戻ってやればいいと山を歩いて越え村に戻り牛を救出したのです。今は何もかもが便利になり過ぎてそれが失われると大変不自由を感じますが、昔に戻ってやれば困ることは少ないかも知れません。松井さんは「私達が伝統文化を守ったと言われるが伝統文化が私達を守ってくれたのです。」と言われました。復興支援なんておこがましい 私の方こそ山古志に学ばせて戴けることがたくさんあると感じました。
 
中越地震で見られたように山古志周辺は地すべり地帯であり地震直後どうしてこんなところに人が住んでいるのかとの疑問もありました。しかし地すべりによって緩やかな地形が生まれそこに人々が棚田を築いて生活する空間が生まれたのです。棚田での農作業には牛を必要とし、足腰が強く粗食にも耐えうる南部牛がうってつけであり、その牛が角突き(闘牛)の神事のルーツになったのです。また棚田を潤す水を得る為に横井戸を掘って山の地下水を引きました。山の地下水はそのまま使うと冷たいので一番上の段に池を作り水をぬるませたのです。そこに食用の鯉を飼ったのが今の錦鯉の始まりだと言われています。また横井戸を掘る技術は手掘り隧道の技術に活かされることになったのです。(ガイドブック「牛の角突き街道をゆく」中野雅子氏の一文参考)
 
土生神社には主祭神菅原道真公ー天神さんの使いである牛の像があり、境内には末社牛神社も祀られ牛と縁の深い神社です。また境内の淵には鯉が飼われ、土生神社の恋御守には地域の伝説の和泉式部と共に鯉(恋)のデザインがあしらわれています。牛と鯉つながりで山古志との縁を通して私達の地域の再認識も出来ればと考えています。六月には山古志の牛の角突きに合わせて訪問を予定していますが、横井戸を掘る技術も土生の水利でも見られたきつね掘り(たぬき掘り)と共通するものがあるように思えます。
 
私達の地域で現在牛の姿を見かけることはなくなりましたが、昔は当然農耕に使われていましたし、子牛を預かって育てて売ることが普通に行われてもいました。村ごとに祀られていた牛神さんは旧七夕の日が祀る日で土生でも牛を紅葉川で洗って牛神社にお参りさせたのです。
 
今日牛と言えば牛肉を連想しますが、牛肉を食べていてもそれがもともと生きている牛の肉であることを当たり前すぎて思い浮かべることもしません。さる三月五日に神社の地域交流会で「にくのひと」という映画の上映会をしましたが、このドキュメンタリー映画を作った満若監督は牛丼店でアルバイトをしていて牛肉はどのように加工されているのかを疑問に思ってこれまでカメラがほとんど入ることのなかった食肉センターの様子を映し出しました。あらためて他の命を戴いて生かされている私達の命について見つめ直すのに良い映画でしたが、残念ながら上映会には氏子さんつまり土生町の人の参加は一人もありませんでした。こうした活動も神社の歴史と伝統を踏まえ宮司が勝手にしていることでなく地域の神社の役割を大切に次代に伝えていくための取り組みであることを氏子の皆様にもご理解して戴けるように今後努力していく所存です。
  

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