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土生神社・森からの手紙
 平成二十二年新緑号
 地域の歴史と伝統を
 生かしたまちづくりを           
       土生神社宮司 阪井健二             
 さる四月二十六日私のもとに突然文學の森という出版社から一冊の句集が送られてきました。 
 吉田百々子句集「奥高野」とあります。吉田百々子って誰だろう、なぜ私のところに送られてきたのだろうと思って本の奥書を見ると土生町の住所になっています。氏子さんが神社に贈呈して戴いたのかなと思って見ているうちに元岸和田市議吉田光男氏の奥様であることに気づきました。吉田氏の奥様であれば以前お目にかかったことがありましたが、俳句を作られていることは知りませんでした。
 八十歳を越えられての第一句集 少し見ただけでも技術だけでなく人生の重み 深さが感じられる句集です。
 私はとりあえず電話で御礼を申し上げますと、「宮司さんの地域論(通信)いつも読んでますよ。若いのに大変ですね。これからも頑張って下さい。」と逆に励まされました。私はもう若くはありませんが、私のつたない通信を知らないところでそっと読んでいて下さり応援していて下さったことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。句集からいくつかの句を紹介させて戴きます。
 職退きて萩のみだれにしたしめり
 送り火に照らされてゐる齢かな
 冬かすみ戸棚に古き乳しぼり
 八十のわれに母亡く母の日や
(土生神社)
 新緑や若き宮司の地域論
 
 私の通信は地域論なんていうほど立派なものではありませんが、今地域は大きく変貌を遂げようとしています。東岸和田駅前に新しい高層建築物が出現し人情味が残っていた駅前の風景が一変してしまいました。一見美しく便利に見えるこのようなまちづくりがほんとにこの地域に豊かな未来を約束してくれるのでしょうか。
 そもそも土生町の、この地域の未来をどのように作っていくのか、どのようなビジョンが地元にあるのでしょうか。
 
 今年は奇しくも土生神社創建九百二十年の節目となる年です。平成二年に九百年祭が盛大に行われ、ちょうど二十年が経過しました。
 伝えられるところによると、寛治四年(西暦一〇九〇年)白河上皇が熊野御幸の帰途隣地の別野村の田中に白連の花が三茎咲いているをご覧になられて同所に熊野神社を祀ろうとしてしばらく当地に留まっておられた際に当時土生の村民は現在の土生滝の意賀美神社を産土神として仰いでいてその遠く隔たっていることを憂いて衆議の上源俊頼卿に依って鎮守の神を祀りたい旨願い出たところ、上皇は聴許せられ天満天神を祀るべしとの御意を下されたのです。そこで村の代表十六人が俊頼卿に従って上京し北野天満宮にその旨を伝え御分霊と道真公真筆の法華経を受け帰り、同年八月二十一日上皇御駐ひつの址に社殿を建てて祀ったのが当神社の御創建と伝えられています。
 
 創建伝承にも白河上皇の熊野詣が関わっていますが、後世小栗街道と呼ばれた熊野参詣道が土生町を横断しています。その昔の面影をよく残している場所が道の池の堤にあります。この道の池がいつ頃できた池かわかりませんが、堤の上を道を通すことで踏み固められる知恵が隠されています。しかし今日ではこの池は農業用水のため池としての役目を終え、堤に茂る草木や池の中で鳴く蛙の声などに対して近隣の住民から苦情が絶えないようです。水利組合でも困ってこの池を埋め立て開発しようという動きもあります。でも単に目先のことだけ考えて、このような土生町にとって今となれば大切な文化遺産である池や古道を消してしまうようなことをしてこの先いったいどんなまちづくりをしていこうというのでしょうか。大切なふるさとの先人の営みの痕跡でもある文化遺産を破壊していったい私達はどんなふるさとを未来の子孫に残そうというのでしょうか。
 
 目先のことだけを考えた開発で全国どこにでもあるような画一的な街を作ってもふるさとへの愛着は薄れ地域の力が弱まる一方です。今こそ土生町の歴史と伝統を伝える文化遺産をより多く守り、それを生かしたまちづくりを地域のみんなで考えていく時ではないでしょうか、。それが今この地域に生きる私達の責任だと感じます。
 
 土生町には他の町にはないたくさんの歴史的文化遺産が遺されてきました。そのことに誇りを取り戻すべきだと思います。しかし現実にはどんどんその遺産が忘却され消されています。最近でも住宅開発によって田んぼの中に残されていた二つの庚申塚の痕跡である盛り土の一つが削られ消えてしまいました。庚申待の信仰は昔はこの辺りでも盛んで庚申の日の夜になると集まって徹夜で過ごす習慣があったはずです。
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 岸和田旧市の中心部のようにもとから町として発展してきた地域にはどんなに街の姿が変わっても歴史の連続性が感じられますが、農業を中心とする地域共同体であったこの地域では農業を専業とする人がほとんどいなくなると同時に田園風景は住宅地に一変し、歴史の連続性がありません。そのような中で先人の思いを伝える大切な文化遺産を見直しこれからの新しい生活スタイルや地域の中にどう組み入れ生かしていくのか、それを考える時が来ていると思います。先人が遺した文化遺産を感謝と誇りの気持ちで守りここにしかないふるさとの姿を残していくことなくして未来の子孫が幸せに暮らす地域を作っていくことはできないと言っても過言でないと思います。そのことを強く神社からも発信したいと考えています。
 

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昭和の日 ケータイ投稿記事

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今日は昭和の日。
昭和天皇のご聖徳を偲び、ご皇室の弥栄と国家の安泰 世界の平安を祈念して昭和祭の祝詞を奏上しました。

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