過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

土生神社・森からの手紙・平成二十三年紅葉号
 今年の例大祭を終えて
                      宮司  阪井健二
 去る十月八日、九日と行われました例大祭も無事に終えることが出来ました。社会も地域も大きく変化している中で氏子の皆さんまた多くの関係者の皆様のご協力により今年も例年通りに行うことが出来ましたことに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。また地車曳行も天候にも恵まれ事故もなく安全に最後まで行われ何よりでした。そこには祭礼関係者の大変な努力とご苦労もあったことと思います。お疲れ様でした。
 
 今年もお祭り前に土生町地車関係団体懇親会に同席させて戴きました。そのような席に神社の宮司が出席するのは岸和田市内では他にあまりないかも知れませんが、一つの村で立派に一つの氏神様の神社を守り先人から連綿と伝えられてきた歴史と伝統を氏子の皆さんが受け継いでおられることの証だと思います。昔は村の神社に宮司は存在せず、宮座の座老つまり村の長老が神主を勤めていたのです。今でも地車が宮入りする時町会館から神社まで宮座の一老さんが地車の前に乗られるのがその名残です。無論名残だけでなくその存在は現在も重要なのです。現在では座老さんに代わって宮司が神職を勤めていますが、ほんとに神社の歴史と伝統を受け継ぎ担っておられるのは宮座の座老さんをはじめとする氏子の皆さんです。お祭りを通してあらためてそのことをかみ締め感謝と誇りの気持ちを深めることが大切だと思います。そんな話を懇親会の席でも資料を配布してしますが、私の話は拙いしあまり皆さんも聴いている様子はありません。私が話をするのは逆効果かも知れませんが、町会の橘顧問さんが乾杯の挨拶で土生神社の秋の例祭の一環としてだんじり祭が行われることを忘れないように言われたことは皆さんの心に強く響き残ったのではないかと思います。
 
 私も氏子の一員という気持ちで宮司を勤めお祭りを奉仕しています。矢代寸神社でも宮司も参加して神社で祭礼の打ち合わせ会をしていますが、祭礼の話を神社から離れたところでするのでなく宮司も参加して神社と氏子が一体化してお祭りを行うことがとても大切ではないかと思います。そして地車の曳行に参加している人だけのお祭ではなく、氏神様の例大祭ですから氏子すべての人のお祭、地域全体のお祭であるという意識を広め高めていく必要があります。地車が宮入りするように氏子の皆さんには例大祭の日に氏神様にお参りして戴きたいと思います。地域に住んでいる人でもお祭を他人事のように思っている人がまだまだ多いのではないでしょうか。
 
 駅前の曳行も今年から旭・太田地区と修斉地区が一つになって東岸和田地区として行われるようになったとのことで自由曳行というのが今年の東岸和田だんじり祭のキーワードになっていました。曳行コースも各町変化があり、土生町も葛城町口まで上がりました。この時矢代寸神社の前も通るということで前もって土生町会、そして土生町三十人組から矢代寸神社にお神酒のお供えがあり、当日代表者の参拝が行われました。
 
 修斉地区六町の地車は駅前に下りていくのに必ず土生神社の前を通ります。以前はただ通り過ぎていくだけでしたので二年前から修斉地区祭礼委員会の代表に前もって土生神社にお参り戴き、当日神社の前を通る時は一旦停止して戴くようにしました。今年からは地区が一つになって東岸和田地区祭礼委員会として山本重成委員長はじめ十一町の代表(葛城町以外は町会長)に参拝して戴きました。そして試験曳きから地車が通る時私も神社前でお迎えし、帰町の際は見送りをさせて戴きましたが、町によっては神社前に一旦停止するだけでなく代表者が鳥居の前で二礼二拍手一礼で拝礼をされました。そこで迎え見送るだけで駅前まで見に行かなくても今年各町がどんな祭をしているか、わかるような気がしました。 
 しかし自由曳行で駅前での曳行時間が長くなり、氏地を曳行するお祭本来のかたちから離れお祭本来の意味を見失いかねません。祭礼委員会が参拝に来られた時、「地区が一つになってお祭りが盛り上がることはすばらしいことですがもともと各町各地域の氏神様のお祭りであることを大切にして行って下さい。」とお願いさせて戴きました。地区が一つになったお祭を通してあらためて各町 各地域の歴史や伝統を見直すきっかけが出来たらと思います。
 
 土生と修斉地区というとやはりかつてあった水をめぐる争いのことがまず思い浮かびます。今でも七月の土用入りの日に土生神社と矢代寸神社から参列して意賀美神社でお祭が行われていますが、諸井堰から水を引いている各村が共存共栄を祈って行われてきたお祭と思われます。昔は生きることの切実な願いが込められていたはずです。現在はそんな時代ではなくなり、地域の人でも諸井堰の存在を知らない人もいます。駅前を中心とした地域になり、お祭もそこに集中するようになっていますが、その背景にある地域の歴史に支えられて今日の私達の暮らしもあることをお祭を通して知り学び次代に伝えていかなくてはいけないのです。
 古くは土生滝も土生村の一部であって意賀美神社を土生の産土神として仰いでいました。村の中心から遠いということで熊野参詣の帰途当地に駐蹕された白河上皇に願い出て現在地に祀られたのが土生神社の始まりと伝承されています。本殿の横に三角形の石の熊野神社が末社として祀られています。
 
 その熊野を先月の台風十二号が襲い大変な被害がありました。気になっていましたが、例大祭も終わってようやく十月十二日那智勝浦町に一日だけボランティアに行くことが出来ました。前日からようやくボランティアが入ったという手つかずの口色川地区で泥だしのボランティアをしましたが、現地の災害ボランティアセンターがそろそろ閉所という中でボランティアはまだまだ必要と感じられました。、熊野に縁のある土生神社から熊野復興にこれからも協力していきたいと思います。
 
 土生町では地車試験曳きの日に梃子祭をして安全祈願をし、宵宮の曳き出しにあらためて安全祈願をしてお祭を始めます。そして毎回曳行を終えて地車が帰ってくると町会役員が神前にお礼参りをし、最終日は各祭礼団体長も加わって拝礼されました。それは来年のお祭につながる立派な拝礼でした。

全1ページ

[1]


.
森からの手紙
森からの手紙
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

地元・泉州

北海道

東北

関東

北陸

中部

関西

中国

四国

九州・沖縄

標準グループ

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事